43 2019年夏モロッコの旅のこと

 2019年夏モロッコの旅のこと

 6月は旅に出なかったので、以前、高校の卒業○周年記念文集に書いたモロッコの旅の部分を転載することにします。写真は少し変えます。    

    旅の行き先を決めるのは家人ですが、飛行機、宿、旅程などは全て私が考えて手配します。フライトは以下の通り(前のことなので正確でないかもしれませんが)。 

⑴2019年3月22日   釜山(韓国)ー成田/JAL9581便

⑵2019年8月17日 東京(羽田)ーロンドンーリスボン(ポルトガル)/ BA8便/502便

⑶2019年8月27日(+1) ジブラルタル(スペイン内イギリス領)ーロンドンー東京(成田)/BA493便 /BA5便

⑷2019年9月6日 東京(成田)ー釜山(韓国)/JAL957便


 韓国発券のチケットで行きました。韓国発券は、韓国発、韓国戻りにしなければなりません(ただし最後の⑷東京ー釜山間は、仕事があってキャンセル)。リスボンージブラルタル間はオープンジョーにして、リスボンからマラケシュまではTAP(ポルトガル国営航空)のフライトを別に手配し、モロッコ内を南から北へ横断し、タンジュからジブラルタル海峡を船で渡って、スペインのアルヘシラスへ、そこからバスでイギリス領のジブラルタルの空港に行ってロンドン、ヒースロー経由で日本に戻ります。BA(British Airways )しかビジネスクラスの割引がないので、旅程を考えるのも非常に苦労するのです。

   これがコロナ前の実質的には最後の旅といえるものでした。

 以下モロッコの旅について書いた部分を転載します(写真と写真の説明部分を追加したので、時系列が多少乱れていますがご容赦ください)。

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 モロッコは、マラケシュのような砂漠の街だけでなく、商都カサブランカ、近代的でありながら、ローマ遺跡を残す首都ラバト、あるいは、細かいモザイク模様のタイル装飾が見事なイスラムの寺院と城壁があるメクネスやフェズ、ユダヤ教徒によって青く彩られたシャウシャウエンなど、多様な姿を見せてくれる面白い国であった。

 今回は、サハラ砂漠出身で、トヨタのランドクルーザー(砂漠はこの車でないと駄目で、何でもタイヤの空気を抜いて走るのがコツだそうだ。)を自在に繰る運転手ヨセフとの出会いが面白かった。メクネスの大学を卒業し、イタリア語、スペイン語、フランス語、英語、アラビア語が話せる(日本語は少し)。モロッコは、高学歴でもあまりよい就職口がないという。サハラ砂漠出身という彼に、「羊でも飼っているのか」と聞く夫。「NO」という答えに、「それでは何で食べているのだ」という失礼な質問。砂漠といっても水も食べ物もあって、スマホもできる街なのだと答える彼。モロッコは、山から水を引くという灌漑設備が整っているので、砂漠でも普通の暮らしができるのだという話である。

  ヨセフとは、キリストの父の名ではないか、と聞くと、イスラム教の聖人の名でもあり、エジプト人を救った人物であるという。コーランは、さまざまな物語(旧約聖書も含む)を集成した最後の聖典で、詩的な美しい文章で綴られているのだと教えられた。

  ヨセフと夫は気が合ったようで、その後、羊の脳みその話で盛り上がり、一皿を二人でシェアして食べていた。白子のトマト煮といった味らしい。映画「インディ・ジョーンズ」に、猿の脳みそを食べる場面があったことを思い出し、私はパスしたが、モロッコの野菜類や卵は新鮮でとてもおいしかった。

 それにしてもひどい暑さだ。連日41度、43度。朝晩は20度くらい下がって過ごしやすいが、日中は大変だ。首都ラバトの宿で、扁桃腺炎にかかり、高い熱が出た。昼に熱は下がり、何とか旅程をこなしつつ、夜はダウン、よく持ちこたえたと思う。


   マラケシュの広場 朝は人気がない

 広場に行く途中の煙突の上に巣を作ったコウノトリ
                          ろば
カサブランカのハッサンⅡモスク→
首都ラバトの郊外にあるローマ遺跡→

フェズの宿。ガイドのあやさん推薦の宿「Riad Assilah」。
ステンドグラスの窓
                 噴水のある中庭

食事が極上。卵も肉もフルーツも新鮮で美味。

 フェズの皮なめし工房

 ろばの背になめした皮を10枚以上積んでは運ばせる。イソップ童話の世界。お決まりのおみやげもの屋さんに寄り、店員さんのセールスに夫は「I'm poor」といって逃げるが、相手も負けずに、「Me,too.」と応酬。
                      
                青い街シャウシャウエンの坂
 葡萄棚の葡萄が青に映えて美しい。
 
 モロッコの北端タンジェは、ヨーロッパとアフリカの政治、社会、文化が交錯するるつぼのような街。
ギリシア彫刻なども博物館に残されている。  

タンジェの博物館にあるスフィンクス

  

 青い街シャウシャウエンを経て最後にたどりついたのが、モロッコ北端のタンジェ、今回最も行きたかった街である。アフリカ大陸とヨーロッパ大陸との距離が最も近いジブラルタル海峡に面していて、さまざまな歴史的興亡の舞台となった面白い街で、車に15分ほど乗るとスパルテル岬に着く。そこから望むジブラルタル海峡では、地中海と大西洋の境、ブルーの色が微妙に異なる潮目を見ることができる。

 スパルテル岬(地中海と太平洋が交わる海)     


           タンジェの港、対岸がスペイン   

  海峡を眺めていると、高校3年の時担任だった先生の世界史の授業を思い出す。レコンキスタ―キリスト教勢力による、イスラム勢力からイベリア半島を取り戻す運動(戦い)、1492年グラナダ陥落、ジブラルタル海峡という名も出たような気がする。改めて調べてみると、敗北したナスル朝最後の君主は、フェズ(モロッコ)に亡命する。ジブラルタル海峡を渡ったのだろう。ナスル朝は、イランから、エジプトを経て、モロッコを経由してイベリア半島に行ったというイスラム勢力、ウマイヤ朝の末裔である。紀元前にモロッコにやってきたローマ人や、ゲルマン民族も、おそらくはジブラルタル海峡を渡ったのだ。モロッコ史は習わなかったが、モロッコを囲む歴史は殆ど習った。今考えれば、少しでも多くのことを我々に伝えようと早口で語る先生の授業は、まだ見ぬ異国の過去の歴史に向かう贅沢な時空旅行のようなものであったと思う。

  摂氏55度あったというサハラ砂漠には行かぬ一筆書きコースの旅も終わりに近づいた。タンジェからジブラルタル海峡を渡って、スペインのアルヘシラスに行き、そこからバスに30分ほど乗ると、スペインにある小さなイギリス領、ジブラルタルに着く。その空港から、ロンドン、ヒースロー経由で帰国の途についた。    

ジブラルタル空港



      モロッコ地図。書かれていませんが、セウタの少し西側がタンジェ、
      ジブラルタルはスペインの南、黒丸のあるあたりの南にある。
      地図は亡き父の『世界120カ国写真・紀行』より転載。

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コメント

木の葉 さんのコメント…
映画「モロッコ」しか知らない身には、異文化の渦巻く雰囲気がとても魅力的です。📷の画像も綺麗で、追体験している気分でした。フライトチケットの取り方は、さすがです。ガイドのお兄さん、今どうしている?再訪できるといいですね。
M.Nakano さんの投稿…
 木の葉さん、いつも有り難うございます。

 旅のメモなどをあまり取っていないので、アバウトなものですが、楽しんで下さったなら嬉しいです。

 ようやく、海外旅行のパンフレットなども出始めましたけれど、コロナ前とはすっかり様変わりしたという印象ですね。少しずつ海外に行くことはできるようになってゆくのかもしれませんが、年齢的にも厳しくなってきますし、金額的にも前には考えられないような値段になってきたようです。

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