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64 亀戸天神社の鷽替え神事

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亀戸天神社の鷽替え神事      1月24日、25日は亀戸天神社の鷽替え神事でした。学生時代、亀戸まで母が出かけていって鷽を持ち帰って来たことを覚えています。若かったので、こんなもの信心して、などと笑っていたのですが、今年は、昨年は半年にわたって『百人一首一夕話』で菅原道真を扱い(大変長いお話でした)、そこに天神関係の神社では鷽替えの神事があることも書かれていましたので(前回参照)、講義でお話したことでもあるし、私自身、昨年入院するなどということがありましたので、昨年の出来事をウソにするという鷽替え神事にいってみることにしました。    前回は藤の美しい季節、押上駅から歩きましたが、今回は錦糸町駅から。徒歩15分くらいです。             入り口近くになると、旗がたっています。         鳥居の前では、もう紅梅が咲いていました。  白梅、蝋梅もちらほら。写真を撮ろうと思ったのですが、行列しているので、そちらを優先。鷽替えというので、代わりの鷽がいるのかと思って、警備の人に、代わりはもっていませんが、買うだけでもいいのですか、と聞くと、問題ありませんということでした。殆どの方が、鷽を取り替えるというよりは新しく購入しているようです。       行列の途中にたくさん並んだ木彫の鷽の棚があります。  去年の鷽をこちらに置くようです。  並んでいる人の話では、開く前から並ぶ人もいる、とか、ある年は売り切れてなくなってしまった、とか。結構大変なもので、ふつうにお札やお守りを買うようなわけにはゆかないのでした。そういえば、昔の勤め先は、穴八幡の近くだったので、「一陽来復」のお守りを買うのが大変だったことを思い出しました。ある年などは、お守り購入ツアーらしく大型バスが何台も横付けされたこともありました。こちらの鷽は、時間も終わりに近かったためか、30分くらい並んで買うことができました。  大中小と懐中鷽がありました。とりあえず「中」を買いましたが、ちょっと小さかったかな。母が買ったのはもっと大きかったような記憶があります。             こちらは今年の大中小の鷽さんたち。  午前中、ZOOMで運動をしたせいか、ひどく疲れていて、タクシーを探しましたが、駅方面行きは殆どありません。仕方なく歩き始め、ようやく着いた公園、近道だと思って斜めに横切り、車両進入

63 24菅原道真(1)ー百人一首一夕話の挿画解説 道真の挿画5・6

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 24菅原道真(1)ー百人一首一夕話の挿画解説 道真の挿画5・6  しばらくお休みしていた『百人一首一夕話』です。いきなり24番目の道真?しかも道真の最初なのに、挿画は、1ではなくてどうして5、6なのか、と思われるかもしれませんが、それについては次回(64回)ということに。     巻之三 二十七裏、二十八表 【翻字】 二十七裏 鷽替(うそかへ)の御祭事(ごさいじ)は毎歳(まいとし)正月七日の夜(よ) 酉(とり)の刻頃(こくころ)、参詣(さんけい)の老若男女(ろうにゃくなんに   ょ)、木にて作りたる 鷽(うそ)の鳥(とり)を調(ととの)へ 、互(たが)ひに袖(そで)にかくし、 鷽(うそ)かへんと 訇(ののし)り合(あひ)て、双方(さうほう)より取替(とりかゆ)る事(こと)なり。其中(そのなか)に 社司(しゃし)より金色(こがねいろ)の鷽出(いづ)るを是(これ)に当(あた)りたるは 幸福(さいはひ)ありとて、かく集(つど)ひあらそふことぞ。其夜(そのよ) 薬師堂(やくしどう)にて追儺(おにやらい)の式(しき)も有(あり)ていとにぎわし。   和漢三才図会曰鸒正字未詳狀大於鶯頭真   黒両頰至頸深紅觜短而黒背胸腹及翮灰青   帯微赤羽尾黒其声圓滑而短鳴時隨声両   脚互挙如弾琴揺手故俚俗称宇曽弾琴   或以形麗声艷曰宇曽姫雄呼晴雌呼雨  大和本草ニ雄ヲ テリウソ ト云、紅シ。雌ヲ アマウソ    ト云、アカヽラズ。其声如嘯(ウソブク)ユヘニ名ツク云々。 (漢文部分のみ書き下し文にします。カタカナは本文にある文字、ひらがなは本文にないが読みのために補ったものです。)    和漢三才図会ニ曰ク、鸒は正字詳らかならズ。狀チ鶯ヨリ大ナリ。頭(カシラ)真黒ニシテ両ノ頬より頸ニ至リテ深紅、觜は短クシテ黒く、背・胸・腹及び翮(はがい)は灰青にして微赤を帯ぶ。羽・尾は黒し。其の声圓滑ニシテ短ク、鳴く時は声ニ随ひテ両脚を互ひニ挙げテ琴を弾きて手を揺らスガ如し。故ニ俚俗、「宇曽、琴ヲ弾ク」ト称ス。或いは、形麗しク、声艷ナルヲ以て、「宇曽姫」と曰ふ。雄ハ晴を呼び、雌ハ雨を呼ぶ。 大和本草ニ雄ヲ テリウソ ト云ふ、紅シ。雌ヲ アマウソ    ト云ふ、アカカラズ。其声嘯(ウソブク)が如し。ユヘニ名ツクと云々。 二十八表 うそかへのまもりの図 (木偏+賢という字。大漢和にもない)のごとき

62 うーさぎ、うさぎ

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 うーさぎ、うさぎ  今年は卯年、黙っていようかと思いましたが、12年後、ブログを続けているかどうかわかりませんので、元気なうちにカミングアウト、年女です。正確には同じ干支ではありませんけれど(十干十二支が組み合わされて、六十年に一度、生まれた時の干支が巡ってくるのです。今年は十干では癸、十二支では卯で、「癸卯」生まれの方が生まれた時に干支にもどる還暦となります)。   そんなことで、たいしたものはありませんが、手元の兎グッズでも並べてみようか、などとお正月に思いつきましたが、東博の一月恒例の干支企画、「兎にも角にもうさぎ年」を見にいってからにしようなどと、 いつものようにぐずぐずとしておりましたら、1月18日から、日本経済新聞の裏面(「私の履歴書」や小説の連載が載る文化欄)で、いつも愛読している、美術品を十回で解説するシリーズに、今橋理子氏の「兎のかたち十選」の連載が始まりました。まねしたみたいに思われるのは残念なので、重い腰をあげて手元の兎グッズなどをもとに書いてみようと思います。    母方の祖母の卒寿祝いの記念品。母は早逝しましたが、祖母は長生きで100歳を越えて生きました。リャドロの兎です(実は、これを茶箱の中から発掘するのが大変だったので、記事が遅くなったということもありますー二つ目の言い訳)。   私の家族は、母方の祖母が卯、母が卯、父方の祖父が卯、父方の叔父が卯(つまり母と同じ年)、皆故人となりましたので、残っている卯年は、私と一番年長の孫になります。合わせると6人、兎(卯)一族だったというべきかもしれません。最近手にした山本幸司氏の『死者を巡る「思い」の歴史』(岩波書店)は、日本古典文学の和歌や文学作品から、人の死に対するさまざまな思いを抜き出し、それぞれの想念のあり様を探る魅力的な本ですが、「はじめに」の部分にとても素敵な文章があります。  私自身の立場から見ると、自分を中心に、生きている人々と亡くなった人々が、いわば一つの交遊圏を作り上げているのであり、そうした交遊圏は、故人の部分は眼には見えないが、それなりにある種の共同体だといってもよい。多かれ少なかれ、この世の大方の人はそうした死者と生者の入り混じった共同体の一員だと考えられるように思う。  自分を軸としてみれば、生者との交遊だけではなく、眼にはみえないけれど、亡くなった人との交遊もあり、

61 新年おめでとうございます

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  新年おめでとうございます   昨年は、このブログをおたずね下さり、ご愛読下さいまして誠に有り難うございました。コメントを下さった方々も有り難うございます。  遅々たる歩みですが、よろしければ本年もお付き合い下さいませ。  今年の抱負といってもたいしたものはありませんが、これまでも単なる事柄の羅列に終わることなく、できるだけ一旦こちらのなかに取り込んで、少し考えてから、わかりやすいことばで語るように心がけてきたつもりですので、今年もそれを続けてゆきたいと思っています。  また、昨年は思いがけぬ病気騒ぎで、『百人一首一夕話』の挿画解説がどこかにすっ飛んでしまいましたので、今年はできるだけ、そちらの方も充実させたいと思っていますので、どうぞ本年もご贔屓下さいますようお願い申し上げます。  写真は、鏡餅、といっても石鹸(オリーブオイル100%)でできている小さなものです。ラベンダーとオレンジスィートのよい香りがします。鏡餅はあとの始末に困りますが、石鹸(台所用らしいです)ならば、溶けて流れてしまいますので、なかなかすぐれものだとおもいます(お世話になっている先生からの頂きものです。いつも高雅なセンスをお持ちの方で、感心させられます)。         お花は、いつもの自己流アレンジメント。アレンジメントは習った事がないのですが、オアシスに挿してあります。学生時代に生花を習っていたので、どうしても正面向きの生花風アレンジメントになります。 シクラメンを頂いたので、今年はお正月の花はそれでいいやと思っていたのですが、長男が、松と紫の葉牡丹と白のストック(写真のなかにあります)というこれ以上考えられないほどセンスのない花束(駅前のスーパーの店先にあったのでしょう。それでも病気をしてから、気を遣うようになったのか、初めてもらった花束)をよこしたのでした。花瓶に生けても、配色がどうにもならないので、仕方なく私もおそらくは同じスーパーの店先でガーベラを二束買って、庭のグリーンを添えて、適当に仕上げたものです。遅い正月のお花となりました。  本年もどうぞよろしくお願いいたします。              目次へ

60 ステンドグラス・コレクション

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 ステンドグラス・コレクション        写真を保存してくれるグーグル・フォトのアシスタント(つまりAI)が、これまで撮った各国のステンドグラスを集めたコラージュを作ってくれました。           これはクリスマスの時に使おうと思いつつ、すっかり忘れていました。しかもどこで撮ったかを調べてみると結構大変(まったく忘れています)。おまけにステンドグラスの写真は、特別なカメラを持っていないので、光の加減がうまくゆかず、失敗作が多いのです。たとえばパリのサントシャペル、シャルトル大聖堂などの有名どころはうまく撮れませんでした。  このコラージュは、まあまあちゃんと撮れているものをピックアップして載せてくれているのですが、むちゃくちゃマイナーなところも多いので、再リサーチが大変でした(旅の間は旅自体に無我夢中で、写真について詳細な説明をつける暇もないので、あとで見ても、日付とざっくした場所しかわからない事が多いのです)。ステンドグラスの説明をできるほど知識がないので、このコラージュに番号をつけて、もとの写真を載せ、撮影した場所と日付を記し、それだけではつまらないので、その旅のできごとについて少々付け足しておきます。  ①まずコラージュの左上はイギリス・スコットランド、エジンバラのSt Giles’Cathedral(聖ジャイルズ大聖堂)(2016/8/26撮影)。ウェイバリー駅近く、エジンバラ城に行く途中にあったゴシック形式の教会。聖ジャイルズはスコットランドのプロテスタント化を推進した人で、宗教改革の時に多くの装飾が破壊されたが、みどころが多いそうです。              ②次の左下の写真はエジンバラ城にあったもののようです(2016/8/26撮影)。これはきれいに撮れていますが、何という聖人かは不明。     ③コラージュ右上はプラハ城にある 聖ヴィート大聖堂(2007/7/26撮影)。  アルフォンス・ミュシャが作ったステンドグラスとして大変有名です。たくさん撮ったのですが、お見せできるのはこれだけ。     他の写真は5.6年前ですが、これだけは、15年ほど前の写真です。かなり昔のことですし、あとは列車でドイツのドレスデンに移動したので、チェコは二泊三日、プラハ城(錬金術師の小路)の他、図書館とユダヤ人のゲットーを見たくらいで、あまりたいした思い出

59 胡桃の割り方

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胡桃の割り方     おかげさまで、普通の生活にもどりつつあります。12月3日には元の勤め先の大学のシンポジウムで登壇し、仕事にも復帰して、カルチャーの講座も始めました。そろそろブログも始めないと、忘れられてしまいそうですから、こちらも再スタートすることにします。     今年もまた胡桃がとどきました。従妹のみっちゃん、毎年本当にありがとう。   講座の皆様にほんの少し、柚子と一緒にお裾分け。    横浜の「源氏物語講座」で、胡桃をお配りすると、Sさんが、「これは10円玉で割れます。」と言うのです。皆、初めて聞いた話にびっくり。たいていは金槌ですよね(私などは胡桃割りを買ってしまいましたが)。  やってみせて下さいというと、10円より1円の方が薄いからといって、胡桃のとがっていない方に差し込み、一円玉をエイっと回すと、なんと胡桃が真っ二つに割れたのです。       皆びっくりして、拍手も忘れてしまいました。すごい、こんなことで胡桃割りができるの?帰ったらやってみよう、という話になりました。  さて、帰ってから、私も胡桃のやわらかい方に10円玉を差し込み、エイッッ。。。。。。  ぜ、全然割れません。手の力(握力?)のレベルが違っていたらしいです。仕方ないので、ドライバーを持って来て差し込むと、割れるのも割れないのも。  ネット検索をすると、胡桃を水につけるとか、レンジで暖める(これははじけて危なそうです)とか、ゆでるとか、いろいろな方法で割れやすくしてから、ドライバーを使うというのが多いようです。でもそこまでしなくても、ドライバーで割ることはできそうですね。10円玉で割る方法はネットではなかなか見つかりません。Sさんの特殊能力らしいです。  あとでよくよく考えてみると、10円玉だけで割ることができない場合は10円玉をはさんで、軽く金槌で叩くという方法もあるかもしれません。1円玉は曲がってしまうかもしれないのでおすすめできませんが。  さて、割ってから中身を食べ、残った胡桃の殻は、いつものように、少しずつ庭に撒いてウッドチップがわりにしていたのですが、ことしは、なぜかあっという間に逆さまにひっくり返されます。いつもブルーべリーを狙うヒヨドリの仕業かしら、と思って、講座でもそんな話をしたのですが、翌日の夕方、何気なく庭をみると、何とプランターを駆け上るネズミの姿が。。。

58 ようやく退院が決まりました

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 ようやく退院が決まりました.   なかなかドレーンの管を抜いてもらえず、ようやく24日に退院できるという許可がおりました。手術翌日から元気だったのに、15泊16日に及ぶ入院、本当に長かったです。 重症の方もいらっしゃるのに、こんなに元気なのにいつまでもここにいてよいのかと思いつつ、いたずらに日が過ぎてゆきました。  フロアのベッドは満床に近く、お財布にやさしい個室を希望してもなかなか部屋を替えてもらうことができず、ようやく21日、月曜日に移室できました。西側の端の部屋、廊下の奥、その廊下の非常口のガラス扉から見える景色がきれいなので、みとれている方もいます。一昨日の朝は、車椅子のおばあさまが、景色をみながら「月の砂漠」を歌っていました。少し哀調を帯びたメロディー、私も母に歌ってもらったなあ、と思い出したり。   さて、病院のエレベーターはわかりやすいところにありますが、階段はわかりにくいです。事故があっては大変だと思うからでしょうか、壁のようなぶ厚い防火扉を開けて五歩くらい歩き、もう一つ同じような扉をあけるとやっと階段になります。ずいぶん探したのですが見つけることができず、病院の方に教えてもらってたどりつきました。運動不足解消というか足腰が弱らないために、一階のコンビニに買い物に行った帰り、6階の病室まで歩いて上るためです。土日は人の気配がなく、たった一人で怖いようですが、平日は、たくさんの看護師さん、若いお医者さん、その他のスタッフがトントントンとすごい速度で上り下りしています。ゆっくり歩いている私などは追い抜かれてゆくのですが、ある時ピタリと後ろにつく人がいたので振り向いたら、看護師さん、大丈夫ですか、と聞かれてしまいました。さすが職業意識が高い。。。平気ですと答えましたが、患者が階段を上る姿はあまり見ませんでしたので、心配してくれたのでしょう。  それにしてもエレベーターではなく、階段にこれほど人の動きが多いということに驚き、なんだか病院の隠れた大動脈のような気がしました。こんなところで大勢が動いていて、たくさんの人の命を救い、病を治してくれているのだ、と。病室にいてもお医者さん、看護師さん、薬剤師さん、お掃除の人、医療品を届ける人、食事作りの人などなどたくさんの方が一生懸命動いていて、コロナのために引きこもりがちだった人気の少ない自宅にいることに慣れていた