71 葵祭が延期になった日
葵祭が延期になった日
5月15日、葵祭の開催予定日。朝6時にツィッターかフェイスブックで催行するかどうかを発表するのこと、6時に起きて、チェックすると、路頭の儀、催行中止(翌日に延期)とあります。え、晴れていてお天道様が出てますけど。天候が不安定だということらしいです。
蛤御門の近くの宿なので、京都御所の会場に行ってみました。準備されたパイプ椅子は昨夜来の雨で濡れていました。後ろから二番目の80番が私の番号、まあ、締め切り間際にネットで取ったので仕方ありません。 御所を東西に抜けるために、大宮・仙洞御所の前を通ると「本日の拝観はありません」という掲示。上皇様、上皇后様が葵祭を御覧になるということで、大宮御所にご滞在だから当然ですね。
中には団体さんがいて詳しい説明をしています。紫式部の御利益?はたいしたものです。展示は、さほどのものはありませんが、撮影禁止。桔梗の庭、まだ桔梗は咲いていませんが、立派な松の木が印象的でした。解説が終わったお坊さんに声をかけて、学生時代、桔梗が咲いていた時にきましたが、あんな大きな松はなかったように思います、庭を拡張したのですか?などといったら、松は昔からありますよ、と。そうか、もうウン十年たってしまったので、松もこんなに。
ひきてうゑし人はむべこそ老いにけれ松のこだかく成りにけるかな(『後撰集』一一〇七・躬恒)
「老い」はちょっと抵抗がありますが、そう、学生時代に訪れて以来のことでした。
御所を北上し、冷泉家の前を通って、今出川の交差点まで来ると、警察関係者がいて、人だかりが。まさかと思いつつ、近くにいってみると「大聖寺」とあります。上皇様、上皇后様の御幸があると、今朝テレビでいっていたお寺ではありませんか。某テレビ局も取材に来ていて、マイクが近くの女性に向けられ、上皇后様の元気なお姿を一目拝見したくて、と涙ぐんでいます。
御幸の時間はまだ先のようなので、予約してあった近くの「縁(ねこや)」へ、9年前、講座の皆さんと桜の京都の旅をした時にみつけた、小さな懐石料理屋さんです。
のれんをくぐると、板前のおじいさんが一人、ぽつんと立っています。前は奥様がいらしたはずといったら、言葉が出なくなったので一人でやっていると。確かに店も、以前のようにピカピカに磨き上げられてはいず、少し寂れた感じがします。
おさしみ、お椀、焼き物、あなごと餅米で蒸したもの、蕪にウナギを載せた煮物(今の季節は、タケノコが終わるので、一番困るのだとか)、ご飯、赤だし、いちごのシャーベット、おしげなく添えられた山椒の香りが、初夏を実感させてくれます。他に1,2品あったかもしれませんが、忘れました。けれど、どれも大変おいしい。写真は稚鮎の塩焼き、焼き目がついていないので、あら?と思ったら、串を斜めにして時間をかけて焼くのだそうです。9年ぶりでしたが、腕は全く変わっていませんでした。
お客は、私一人だったので、ポツリポツリと対話、自分のような歳だともうどこもやとってくれないから、一人でここでやってゆくしかない、とか、家にいてもすることがない、男は何かすることが必要なのだ、とか、けれど、一番印象に残ったのは、「手が荒れる」という言葉でした。
自分は、家庭では一切料理をしない、けれど、今の若い人は、家でも料理をする、そうすると「手が荒れる」のだ、と。ふーん、水仕事をたくさんすると手が荒れるからかな、などと聞いていると、プロの料理というのは、素材から、調味料から、全部違うのだ、と。家庭料理はそこまでのことはしないから、料理もそのレベルでよいとなってしまうことを「手が荒れる」というのだそうです。そんな言い方は知りませんでしたけれど、刺身も、あなごも、餅米も鮎も、どれも極上のお味でした。採算を考えずに素材を準備するから、会計士さんに怒られるのだ、とか。
そう、その日のお昼の客は私だけ。一人のために仕込みをやってくれて、特別な素材を取り寄せ、料理してくれたのです。目の前でお刺身の柵を切りましたから、もちろん、たくさん残りがありました。せめて、夜にお客さんがきてくれればいいけれど、あとはどうなるの?と貧乏性な私は、秘かに心配していたのですけれど、それが彼のこだわりなのでした。
もともと7人くらいで満席のお店ですが、私一人。でも、予約の電話がかかってきました。シンガポールの人からで、店の名をいって京都のホテルのコンシェルジェに電話してもらっているとのことでした。英語わからないからなあ、といいながら、嬉しそうでした。
今度は、誰か連れて来ますね、といいながら、店を後にしたのでした。
花の天井の公開、今日が最終日ということで、周山街道の入り口、平岡八幡宮へ。神護寺よりも古い神社、もう花は殆ど終わっていましたが、いろいろな種類の椿があることでも知られています。花の天井は撮影禁止なので、外の看板の写真です。
10分ほど天井を見ていると、60人ほどの団体が。やはり葵祭が中止になって行くところがないから急遽見つけた、とか。なんか私って添乗員さんと同じ発想なのでしょうか(誰かさんに笑われそうですが)。。。
帰りのJRバスは京都駅行なので、丸太町通りを通って右折した千本丸太町の停留所で降りると、丁度そこは平安時代の大内裏があったところでした。 御所ばかりに注目しないで、こちらが平安時代の本家本元の内裏だからという、神様のお導きだったのでしょうか。たしかに、わざわざ訪ねたことはなかったのでした。
大極殿跡
旧平安京跡がわかる地図
午前中、御所をずいぶん歩いたので、2万歩近くになり、足がへとへとになり、少ししか見ることができませんでしたが、次の機会には、このあたりをゆっくり歩いてみたいと思いました。
突然の葵祭催行中止(延期)で、何の予定もなく、ゼロからスタートした一日でしたが、行き当たりばったりでも、やはり京都は面白いです。
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コメント
今年も梅雨入りしたそうで、お天気に関して、友人に「雨女」が二人ほどいます。一人と会うときは、「晴れ女」を自認する私が勝つのですが、もう一人の「雨女」はとても強くて、大事な時ほど雨を降らせます。
皇室を拝見していても、昭和天皇が「晴れ男」でいらしたのに、どちらかというと上皇陛下は雨がち、今上陛下は雨でも瞬間晴れたり虹が出たりと、不思議なお天気との関わりがあるようです。皇室の御祖先たる天照大御神は日の神ですものね。
卑近な例で恐縮ですが、亡き父が「晴れ男」で、私もその系統と思っていたのに、何故か没後に私が一人で墓参すると雨になることが多く、それも菩提寺に着いた途端に降り出すなど、いつも不思議に思っております。
後撰集の躬恒の「ひきてうゑし」の和歌は身に沁みます。
添乗員ネタは御輿さんに笑われそうだと思いつつ書きました。本当に、某旅行会社の率いるツアーがどっとやってきたので驚きました。
ランチの「縁」は、またいつか皆さんと行く時の下見といったような思いで訪ねてみました。大丈夫そうではありますが、入りきれるかどうか人数が問題ですね。
雨男、雨女のあれこれ、面白かったです。うちは、私は雨女、夫が晴れ男で、旅に出ると、初日は雨、そのあと晴れるというのが定番です。次回の旅行では、強力な晴れ女大募集ということで、どうぞよろしくお願いいたします。