72 五月十六日・葵祭

五月十六日・葵祭

 『源氏物語』葵巻の話をするときに、いつも葵祭の話をしていました。けれど、一度も行ったことはありませんでした。5月15日という決められた日に行われる葵祭、たいていは仕事があって時間がとれなかったのですが、今回は、ようやく時間をとることができました。
  
 といっても、前日のことを書いた(71)後、なかなか葵祭の話を載せられずにいました。
動画の編集などをしなければと思っているうちに、一ヶ月以上がたってしまいました。葵祭さん、ごめんなさい。読んでくださる方もごめんなさい。 本番がつまらないというわけではないのですけれど、『源氏物語』でも、紅葉賀巻で光源氏が青海波を舞う場面は、試楽、つまりリハーサルの場面でした。絵合で詳しく書かれるのも、本番の前のリハーサル、本番はかえって書きにくいものではないでしょうか(いえ、いつも通りの遅筆の言い訳に過ぎませんね)。 

 こちらは有料観覧席のチケットとともに渡されたバッグに入っていたお札?です。一番素敵だったかも。十五日とありますが、雨天延期で十六日になりました。



 路頭の儀(行列)は10時30分開始。少し早めに蛤御門をくぐると、御所の塀に沿って、車を牽いている人たちがいました。
   

 軒と腰に藤と山吹の風流を飾りつけた御所車です。これから行列に加わるのでしょうね。

 
 葵とかつらの挿頭を間近で見ることができてラッキーでした。









 下手の観覧席に到着。上皇様上皇后様は建礼門の近くにおいでなのでしょうけれど、全く見えません。よく晴れて、とても暑く、皆日傘をさしたり、扇子で扇いだりしています。後ろの方が木陰になっていて涼しげです。 スピーカーで説明が流れますが、聞こえたり聞こえなかったり。傘を閉じてくださいといっているようです。少し遅れて、路頭の儀(行列)が始まります。こちらに来るまでにはちょっと時間がかかります。全て載せることもできませんのでいくつかを。
 左は行列のはじまり。

 下左は「乗尻」、行列を船頭する騎馬隊で、上賀茂神社の競馬の騎手だそうです。下右は検非違使志(けびいしのさかん)。
 

 衛士は暑そうに歩いています。本当に暑い日でした。葵と桂のかざしがよく見えます。


先に見た御所車の牛車が登場。今度はちゃんと牛が牽いています。

陪従(べいじゅう)。雅楽を奏する武官。楽人装束が決まっています。勅使に陪従する意。


勅使。やはり風格があって、渋いですね。下は風流傘。



 斎王代の列がスタート。花笠をさしかけられた命婦。



斎王代。横に出衣(いだしぎぬ)、後ろに裳を出しているというアナウンスがあります。
友人から、動画を撮れという注文があって、あまり得意ではないので、そちらに気を取られて写真がこれしか撮れませんでした。短い動画ですが、どうもうまくUPでき ないので、you tubeのリンクを貼っておきます。

   https://youtu.be/IFIQ8uOSuaE    
 
   騎女。                        



  采女。青海波の柄の袖です。頭に「日陰の蔓」があるのは斎王代と共通していますね。
           

最後は桜の花で飾られた御所車で終わります。本来、斎王は、姿を見せることはなかったので、これに乗っているはずということをそれとなく示しているのでしょうか。

 行列が堺町御門を出て行き、御苑での見学は終わりました。 

 御苑の南西にある宗像神社向かいの閑院宮跡を訪ねましたら、建物の出り口前に、杜若とふたば葵が植えられていました。ちゃんと祭りの余韻を味わえるようになっているのが、京都ならでは。

 杜若。紫の花弁の中心にすっと白い筋があるのが爽やかな五月の花です。 

 ふたば葵。葵祭のかざしにする草です。『源氏物語』の英訳は、巻名の英訳もなかなか面白く、葵巻をあげますと
 末松謙澄訳(一八八二年)                        Hollyhock
 アーサー・ウェイリー訳(一九二五年)        Aoi
 エドワード・G・サイデンステッカー訳(一九七六年)                 Heartvine
 ヘレン・ マッカロフ訳(一九九四年)           Aoi
ロイヤル・タイラー訳(二〇〇一年)       Heart to  Heart
   
 アーサー・ウェイリーと、ヘレン・ マッカロフはそのまま  Aoi。日本にしかない植物なので訳せないということでしょうか。末松謙澄の Hollyhockは、立葵、花葵ということなので、欧米にもある花の葵として訳したということでしょうか。サイデンステッカーの Heartvine、ネットで調べると、「ハートカズラ」と訳されるそうで、ガガイモ科の常緑つる性多年草西洋の植物、葉は緑、花(萼)は白にまんなかに赤。けれど赤はハート型をしていないようです(よかったら調べてください)。この二人の訳は、日本の植物を欧米にも通じる植物に置き換えたことになります。最後のタイラーの訳は面白いです。葵祭で葛にする、葵の葉もハート型、桂もハート型ですから。意味としては、葵上と六条御息所の車争いや、生き霊登場よりも、光源氏と紫上が結ばれたことにポイントを置いているのでしょうか。まったくの私見ですが。                  
    ちなみに、徳川家の家紋は、家康が賀茂神社の信仰が篤く、葵の家紋にしようとおもったけれど、一つ足して、三葉葵にしたのだとか。実際には存在しない葵なのです。

 閑院宮邸跡のお庭には、あやめも植えられていました。

  

 いずれあやめか杜若。初夏の爽やかなお花です。
 あやめは、外側の花弁に網目模様があります。

 時鳥鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬもするかな

 『古今集』恋一の巻頭歌です。旧暦五月といえば、今の六月、梅雨時のどこか晴れぬ思いを、季節の花と鳥の声に託した序詞が、同音であやめ草の模様のように文目(ものごとの筋目)もわからなくなるくらい、心乱れた恋をすることだ。といった意味でしょうか。

 序詞のさわやかな季節感が、恋の懊悩を訴えることばに転じる意外性が眼目なのでしょうけれど、いい歌ですね。

 次は六月の京都のお話の予定です。
           
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コメント

木の葉 さんのコメント…
葵祭の華麗さが伝わってきました。行列の人みな挿頭に葵を飾るという習わし。神に捧げられるものなので、当に神聖な美しさだと思います。
「大鏡」の競射の場面でも、道長たちが弓を射る場面があります。きっとこの行列のような衣装だったことでしょう。着飾ることが神への祈りになる時代を実感できました。暑い中、素晴らしいレポートをありがとうございました。
M.Nakano さんの投稿…
木の葉さん、コメントありがとうございました。

 お話にあるのは、『大鏡』、道長と伊周の「競べ弓」の場面ですね。おっしゃる通り、さぞ華やかな装束だったことでしょう。葵祭に先だって行われる、5月3日の「流鏑馬神事」や、5日に行われる葵祭の沿道を清める魔除けの神事である「歩射神事」(下鴨神社)は、弓が関わる儀式ですね。葵祭に関わるさまざまな前儀もとても面白そうで、いつか見たいと思っています。有り難うございました。

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