80 新年おめでとうございますー九頭竜杵のこと
新年おめでとうございますー九頭竜杵のこと
新年おめでとうございます。などと祝っていられるのかどうか、新年早々、能登半島では震度7の地震に大津波というニュースが流れ、まだ詳細は分かりませんが、寒空のもと、避難されている方々、閉じ込められた方々は、本当に大変なご苦労をされていることと案じられてなりません。少しでも被害が少なくてすむよう、お祈りいたしております。
年末は風邪気味で、とうとうブログが一ヶ月書けないで終わってしまったこと、その上に、なんと年賀状の元号を一年間違えてしまって、大晦日に気づいて直しましたが、本当にショック(早く送ってしまった方には申し訳ないことでした)。最近は、なんだかミスが増えてきたようで、すわ認知症が発症したか、といささか落ち込んでおりました。
本日の能登の方々のことを思えば私の悩みなどたいしたことではないのですが、少し前までは、結構滅入っていていました。落ち込んだ時に引き出しの1段目をあけると、ネパールの古道具屋さんでみつけた、手のひらサイズのミニチュア金剛杵が入っています。それをぎゅっと握りしめると、ちょっとだけ元気が出るのです。
金剛杵は、密教では、煩悩を打ち砕く法具であり、もともとは、古代インドの武器だったといわれるものです。
(コトバンクより)
両端が、独鈷杵は一つ、三鈷杵は三つ、五鈷杵は五つに分かれていて、見ているだけで頭を打ち割られそうな怖さがあります。独鈷杵は、水前寺清子の「いっぽん独鈷の歌」のタイトルにありますし、たしか弘法大師が、独鈷で土を突くと温泉が湧いたというような各地の伝承にあるおなじみのものです。三鈷杵、五鈷杵も、東寺や高野山、仁和寺、比叡山など密教系のお寺ではよくみられるもの。本来は武器であったというだけあって、如来や菩薩の像にはなく、五大明王や天がその手に持っているという形が多いです。
これは東寺の立体曼茶羅の帝釈天。独鈷を持っています。下は全体像。(『東寺の至宝』図録より。「蔵王権現」のみ図録『祈りの道ー吉野・熊野・高野山の名宝』より。)
これは軍荼利明王、右の一番上の手に三鈷を持っています。
弘法大師像は三鈷と数珠を持っている姿が多いようです。
このように独鈷、三鈷を持っている像が多く、図録には、これに五鈷を足した三種(鈴になっているのとか、輪宝とかバリエーションはありますが)は載せられているのですが、私のはなんだかそれより多い。上から見てみますと、こんな形。
中央に一つ、周りに八つですから、九あって、展覧会などでもあまり見かけないものです。『日本国語大辞典』には、高野山の御影堂にある恵果和尚相承という銅製のものや、醍醐寺所蔵の金銅製九鈷杵は有名、とあるので、日本では九鈷は珍しいものなのかもしれません。私のは、ネパールの露天で売られていた格安品ですが、日本で、こうした法具が普通に売られているというのはあまり見かけないので買ってみたのでした。当時700円くらいだったでしょうか。量産品なのでしょうけれど、結構な重さがあるので、どこかの古い寺院にあったものかもしれないと想像してみたくなります。『世界大百科事典』には、「独・三・五鈷杵は古いが、宝珠・塔杵は新しく、九鈷杵,九頭竜杵はチベットの杵の影響を受け、宋、元代に多い。」とあるので、九鈷杵、九頭竜杵は、チベット仏教の影響がある、比較的新しいものということになるのでしょう。ネパールとチベット、つながっていますものね。ネパールからチベットに旅をした河口慧海を思い出します。
さて、この九鈷杵、よくみると枝分かれした脇鈷は、一つ一つが竜の顔をしています。九鈷杵の脇鈷が竜身のものを九頭竜杵といって、日本では、金剛峯寺・談山神社にある(『国史大辞典』)のだそうです。ネットで検索すると全身の竜のものがあるので、それが本物の九頭竜杵だと思われます(高野山の金剛峯寺や談山神社のものは確認することができません)が、こちらは、竜の顔がメインで半身しかありません。それでも、これまで引き出しのなかに放って置いたものに、こんないわれがあったことを、新年最初の辞書遊びで知ることができました。
今年は辰年。九頭竜杵をもっていたなんて、なかなか幸先がいいのかも、と思うことにしましょう(実は、この九頭竜杵、もっと黒ずんでいて、それが年を経た感じがして好きだったのですが、写真に撮ってみたらあまりに汚く、あわてて、「金属磨き」の方法についてネット検索。手元にあったピカールにしばらくつけ置きして、少し磨きました。本当は「ピカールキレー」というのが金属製品のつけ置きができるらしいのですが、手元に「ピカール」しかなかったので。小さいものを綿棒や爪楊枝を使って磨くのは結構大変でした。亡き母が言っていた「怠け者の節句働き」のために、ブログのUPが遅くなってしまいました)。
小さなドラゴンの九鈷よ、願わくは、私の小さな煩悩を打ち砕き、さらには能登の災害も打ち砕いてくれんことを。
今年が皆さんにとってよい一年でありますように。
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