99 涙の微笑ー桜雨の上野公園とミロ展

 涙の微笑ー桜雨の上野公園とミロ展

 4月2日、今日のように雨が降る、ひどく寒い日でした。ついでがあり、チケットを頂いたので、上野の東京都美術館で開催された「ミロ展」に寄ることにしました。

    上野公園の桜は満開、晴天ならば大変な混雑なのでしょうが、雨なので人はまばらです。15時過ぎ、JR上野駅の公園口を出て、西洋美術館を過ぎ、東京国立博物館に向かう林の道の入り口のところに桜が咲いていました。「舞姫桜」、美しい名です。森鴎外の『舞姫』に因んでいるのでしょうか。説明書きには、「八重咲き」とあり、八重桜は遅れて咲くことが多いのですが、もう満開です。しかも八重ではなく、写真にあるように中央が仄かに赤色をしているということはなく、ほとんどソメイヨシノと同じような淡いピンク色です。




 今回の「ミロ展」は、若い頃から日本の文化や芸術に憧れを抱き、90歳になるまで新たな表現に挑戦し続けたミロの約70年にわたる創作活動を振り返る大回顧展なのだそうです。

  ミロは1893年、スペインのカタルーニャ地方に生まれ、幼少期から画家になることに憧れ、美術学校で学びますが、父親の意向で薬局の会計係として働きますが、身体をこわし、故郷カタルーニャのモンロッチの地で静養、その時に描いた初期の名作「ヤシの木のある家」は、単純化された耕地の描写に対し、そこに生える植物が細かく描きこまれた細密描写が見事です。画家になる決心をしたミロは、パリを訪れて同郷のピカソと出会って親交を深め、また、当時流行していたシュルレアリスムの画家たちと交流することによって、単純化され記号化されたモチーフや線を描いた「夢の絵画」や、言葉と共に描かれる「絵画-詩」というシリーズを展開させてゆきます。  

 1939年、第二次世界大戦が勃発する1ヶ月前にフランスのノルマンディーに移住したミロが発表した「星座シリーズ」23点は、彼の代表作といわれているもの、第二次世界大戦、それに伴って勃発した故国スペイン内乱といった、地上で起こる悲劇に深く心を痛めつつ、ミロはこのシリーズを描いてゆきました。

 今回は、そのなかの3点が出品されており、特に、1940年に発表された水彩画 《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》(1940)には強い印象を受けます。

                                   《カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち》パンフレットより

 美しい青色で描かれた夜空に、女性、鳥、月、星、怪物のような生き物たちが配され、夜空に瞬く星を線でつないで表された星座のようです。それらを結ぶ線がカタツムリの燐光の跡なのでしょうか。

 ふと、藤原公任撰の『和漢朗詠集』下巻の「無常」(七九二)にある句を思い出しました。 

(本文)蝸牛角上争何事  石火光中寄此身 (「対酒」・『白氏文集』)

(訓読文)蝸牛の角の上に何事をか争ふ  石火の光の中に此の身を寄す

 (訳) かたつむりの角の上のようなごく狭い所で、何をあくせく争うのか。火打石から出る火花のような、ほんの一瞬の光のなかに我々は身を寄せて生きているというのに。

  「蝸牛角上の争い」とは、『莊子』則陽篇に出てくることばです。『莊子』則陽篇には次のようにあります。

 (本文) 有国於蝸之左角者、曰觸氏。有国於蝸之右角者、曰蠻氏。時相與爭地而戦、伏尸数万、逐北旬有五日而後反。

(訓読文)蝸の左角に国する者有り、触氏と曰ふ。蝸の右角に国する者有り、蛮氏と曰ふ。時に相ともに地を争いて戦い、伏尸数万、北(に)ぐるを逐いて旬有五日にして後反、と。

(訳)かたつむりの左の角には国がある、触氏という。かたつむりの右の角に国があり、蛮氏という。ある時、土地を争って戦い、死骸は数万、一方が逃げる者を追って十五日してから帰った。

  蝸牛の左右の角の上にあった国同士が土地を争って戦った寓話をいい、この句全体はつまらないことで、短い人生を空しく費やす愚かさをうたったものとされます。蝸牛の角の上にある国とは、そんな極小のところでさえ土地争いをするという人間の本質的愚かさを、『荘子』らしい、豊かな想像力に富んだ喩えによる洞察によって喝破するのです。それを詩にする白居易も素晴らしい。かたつむりの角のような小さな世界にも国があって、人が争っている、どんなところでも人は争うもの、争いが絶えない世の中に対する批判、風刺。 ミロがこの詩を知っていたとは思えませんが、戦とかたつむり、どこかで繋がるものがあるのでしょうか。

 二階は、写真撮影可です。ミロは80歳を迎える頃、カンヴァスを切り裂き、火をつけることで新たな美を創造したという《焼かれたカンヴァス2》(1973)の展示が印象的ですが、足を止めたのは、最後にある展示、《涙の微笑》(1973)というタイトルがついています。シャープな線で繋がれた星座シリーズと比べると、ミロらしい色づかいに大きな変化はありませんが、全体に丸みを帯びたラインが特徴的です。6年かけて構想したというその絵よりも、どちらかというと絵につけられた詩的なタイトルに強く引きつけられました。

                《涙の微笑》2025.4.2撮影       

  涙が笑うという概念矛盾、しかも微笑というかすかな笑み、日本の古典文学ではありえない組み合わせです。

 日本の和歌文学においても、涙はたくさん詠まれていますが、この日は、ちょうど桜が満開なので、桜に因んだものとしては、

 君まさぬ春の宮には桜花涙の雨に濡れつつぞふる(貫之集・七八二)

という歌があります。

   醍醐天皇の春宮(東宮)、保明親王が亡くなったことを悼む哀傷の歌です。親王は延喜二十三年三月十一日に薨去されました。旧暦ですから、まさに桜の季節に亡くなったのですね。「春の宮」は東宮御所、「ふる」は、雨が「降る」と、「経る(過ごしている)」との掛詞です。親王様がいらっしゃらない東宮の御所には、桜の花が降る雨に濡れ続けている、御所の人々は、降り続く雨のような涙を流しつつ、泣き濡れて日を過ごしている、といった意味でしょうか。醍醐天皇や藤原時平の縁者が次々と亡くなり、道真の怨霊ではないかと噂されていた頃のことでした。

 和歌において、涙は雨や露に喩えられますが、桜と組み合わされると本当に美しいイメージになります。

   けれど、ミロの絵には「涙の微笑」とあります。

 長い年月を生きて、時に流した涙は、最後に微笑みをも含むことになる、もしかしたら、彼はそんなメッセージを残そうとしたのでしょうか。

 ミロについても、絵画についても全くの素人なので、勝手な連想を述べました。


 (追記)

Lotusさんのコメントで、「涙の微笑」の英訳は?という疑問がわいてきまして、そういえば写真撮影可だったのでタイトルの写真も撮っていたことを思い出しました。

 


「The smile of a Tear」となっています。まさに「涙の微笑」、[a}の文字が印象的です。「一つの」かもしれないし、「ある」かもしれない、たった一つだけれど、普遍的な涙のことなのでしょう。絵でいうとカラフルな地上の上にある黒い大きな雫型のものがそれに当たるのではないかと思われます。ミロのオリジナルの言葉なのか、あるいは欧米では有名な詩の一節にあるものなのか、検索しても確認することができませんが、現代音楽家(ジャズ)、Mara De Mutiis の「Out of Tempo」というアルバムのなかに「The smile of a tear」という曲があることがわかりました。YouTubeで聴くことができるようです。2018年の曲らしいので、1973年に作られたミロの「The smile of a tear」より新しく、ミロの絵のタイトルからとったのか、あるいはそのもとになるものがあるのかはわかりませんでした。本当は英語ではなくて、スペイン語いやカタルーニャ語でタイトルがつけられていたのかもしれませんが、、ミロの作品は、アメリカで認められたということですから、少なくとも英語のタイトルはこれでよいのだと思います。

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   ミロ展

開催美術館:東京都美術館

開催期間:2025年3月1日(土)〜7月6日(日)

 

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コメント

昭56食 Lotus さんの投稿…
初めてコメントさせて頂きます。
ミロ展、明日25日に出かけようと予定していたところ、期せずしてこちらのブログで素敵な投稿を読むことができ、予習させていただきました。
ありがとうございます。
時空を超え、細やかな人の心模様(涙と微笑みは共存するのか…)を和歌とミロの絵画、それぞれの作品へのご自身の専門知識と感性を交差させた分析がとても興味深いです。
余談ですが、Smile through Tears...という語句、かなり以前にあるピアニストから、音楽のイメージを語る中で耳にした言葉です。さらっと口にされたシンプルな言葉がなぜか心惹かれました。私自身はモーツァルトのピアノ協奏曲の緩徐楽章を聞いたときに、ふとそれを思い出します。
M.Nakano さんの投稿…
Lotusさん、こちらのブログにようこそ。書き込みをして下さったのも大変嬉しく存じました。有り難うございます。ミロの絵は好きでしたが、全くの素人で、苦し紛れに書いたものに、的確なコメントを下さって有り難うございました。「涙の微笑」、多少はネットで調べたり、図録を見たりしたのですが、たいした説明は見つからず。絵とタイトルの関係を考えてもわからずにおりましたのに、素敵な案を教えて下さいました。Smile through Tears、なるほどです。日本語にすると、涙を浮かべてにっこりと笑う、とか泣き笑いをするとあって、もし、これを「涙の微笑」と英訳したのだとするとすごいセンスですね。手元にあるミロの展示作品一覧は日本語のみで英語がないので確認できず、残念です。ミロの作品は、詩、音楽、古典作品と深い関わりをもっているということですから、音楽に造詣の深いLotusさんならではの見解、なるほど、です。モーツアルトの緩徐楽章というと、ピアノ協奏曲21番第二楽章くらいしかしらないのですが。昔、「みじかくも美しく燃え」という映画で聞いて大好きになりました。
昭56食 Lotus さんの投稿…
Nakanoさん、いろいろ調べてくださりありがとうございます。
絵のタイトル「The smile of a Tear」もしっかり撮影されていらしたのですね!
私も展覧会で実物を見て「涙の微笑」というタイトルは気になりました。いっしょに行った娘が、たまたま英語版の作品リストを持ち帰っていたので、英語タイトルは確認できました。そのことをコメント欄でお伝えしようと今夜こちらのブログを再訪、既に(追記)で更新されていることに気づきました。それこそ、ご紹介のMara De Mutiis のアルバム名「out of tempo」みたいですね😊
「The smile of a tear」を視聴してみました。女性ヴォーカルのムーディな曲で心地よかったです。
英語の冠詞 the と a のニュアンスの違い、母語でないのでなかなか掴みかねるところはありますが、それはそのままを心に留め置きたいと思います。
何年か後にふとしたきっかけで何らかの気づきがあるかもしれません。

件の絵について、私が検索したなかで、今の感覚に近いなと思った記述(原文は英語)はこちらです。↓
https://studiofoundationspring09.blogspot.com/2009/02/smile-of-tear-by-joan-miro.html
翻訳版はこちら ↓
https://www.blogger.com/comment/fullpage/post/6140609314518466871/6493421393014022317

夜更けに長々と失礼いたしました。
昭56食 Lotus さんの投稿…
すみません🙇 上のコメントで翻訳版のリンクは間違っていました。

Google アプリの翻訳機能に英語のサイトを入力したものはこちらです↓
https://studiofoundationspring09-blogspot-com.translate.goog/2009/02/smile-of-tear-by-joan-miro.html?_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp
M.Nakano さんの投稿…
Lotusさん、「涙の微笑」の英訳、気に掛けて下さって有り難うございました。お嬢様と展覧会にゆけるなんて、うらやましいです。私の娘は結婚が遅めだったので、今は子育てと仕事に忙しく、あまり一緒に遊んでくれません(涙)。
>それはそのままを心に留め置きたいと思います。
おっしゃる通りです。冠詞の問題ではなく、「涙の微笑」ということば自体の意味もそうですね。ずっと心に持っていると、いつか、ああそうだと思って納得できる時が訪れるかもしれません。けっこう長く生きてくると、そんな経験をいくつかしました。もちろん解けぬままの謎もたくさんあるのですけれど。
 「涙の微笑」の解説についての英語と翻訳のリンクも有り難うございました。確かに、「涙」は、空間としては、空を指すかと思われる上半分に属していますが、地を指すかと思われる下半分のカーブに接していて、両義的な意味を持つのかもしれません。頂いた文章を読んで、下の地の部分の向かって右側も、涙と同じ黒色であることにも気づきました。といって謎が解けたわけではないのですが、現在のところは、その解説がいうように、「涙」と「微笑」が意外と近いところにあるというより、「涙」自体が対義的な「微笑」を含んでいるという意味であるような気がしています。これも心に留め置いて、いつか、一歩でも解釈が進められる日の訪れを待ちたいと思います。有り難うございました。

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