101 九寨溝・黄龍 おちこぼれ旅ーその1ー

九寨溝・黄龍 おちこぼれ旅ーその1ー

 8月のお盆、一番混んで値段も高い時に、中国の九寨溝・黄龍の旅に行ってきました。中国奥地の美しい水の景に長いこと憧れていましたが、九寨溝に地震があって、立ち入り禁止となり、そのあとコロナで入国禁止、そもそも旅ができるような状況ではなくなりました。中国には、昨年から入国できるようになりましたが、ビザが必要で手続きが煩雑、ようやく今年になって、ビザ不要(一年のみ)となったので、それ行こうということになりました。

 カウントしてみると、これまで中国には15回行っていました。一回は西安で学会発表、もう一回は、  海外旅行好きだった父の旅納めにつきあって上海に、あとの十三回は夫との旅(主な地名でいうと北京、西安、洛陽、青島、泰山、曲阜、昆明、麗江、天台山、寧波、杭州、南京、揚州、上海、蘇州、桂林など。順不同)でした。数名の団体ツアーに参加したこともありましたが、コロナ前は、旅行会社に頼んでも、アジアはグループごとに個人ガイドがつくという形が多かったですし、中国の旅行会社を探して、アレンジしてもらって天台山と雲南と南京の旅にもゆきました。団体旅行となるとコースが決まってしまいますが、自分であれこれ考ることができたなかなかよい旅もありました。

 さて、ようやく念願がかなった、初めて九寨溝・黄龍の旅、年齢的なこともあってちょっと心配だったので、今回はクラブツーリズムのツアーでゆくことしました。三つの旅行会社のプランを綿密に比較検討して、一番無理がなさそうな行程と思われたものを選びました。

 実際のところ、お盆の時期だったので、若い方が多く、総勢17名、「登山入門」というレベルの思ったよりハードなコースで、我々は、しっかり落ちこぼれてしまったのですけれど、その落ちこぼれっぷりも含めて書いてゆきたいと思います。

 8月9日16:40、成田空港発の四川航空で21:10成都着。座席のモニター画面は、日本語の説明はあるけれど、中国語と英語のみ。「杜甫」があったので見てみたら、あまりに古いものだったので、見る気がしませんでしたが、約5時間のフライトはあっという間でした。入国手続きで、指紋のところに指をおいたら、怒られました。年齢的に、もう危ないことをする心配がないから、必要ないということらしいです。怒らなくてもいいのにね。中国はお役人が威張っています。バスで、40分くらいでホテルへ。23時着。「成都龍之夢大飯店」というすごい名前のホテル。ここが旅の拠点となって、間をあけて三泊します。その夜は、荷物を整理する間もなく休みました。


 翌朝は、ホテルから徒歩5分の成都東駅まで歩きます。大きな駅に、すごい人、人、人。やはり中国に来たと思わされます。荷物検査をして、パスポートを見せて乗車。昨年、2024年にできた高速鉄道に乗車。それまでは飛行機かバスでしか行けないところでした。

 9時39分発、九寨溝・黄龍への入り口「松藩」という駅に11時12分到着。約2時間近くかかりました。満席で立っている人もいましたが、ほとんどがここで降ります。なかなか来ないバスを待って、ランチ。そのあと「松藩」というチベット民族の古い街へ。 チベット民族がひとまとまりになって住んでいる地域は、西蔵、青海、四川省の2州1県、甘粛省の1州1県、雲南省の1州などに分割されているそうです。つまり、「松藩」は四川省ですが、「川蔵」(川は四川省、蔵はチベットの意)、四川省のチベット族が住む街ということになるのでしょう。

 


 チベットの王ソンツェン・ガンボと唐の文成公主の像。「松藩」は古くから争奪戦が繰り広げられた要衝、つまり中国と辺境との境界の地なのです。戦いを止めるために、チベットの王は唐の皇女を妻に迎え、平和になったのだといいます。

 二人の像の後ろにある、城壁と門の他、特に見るべき歴史的建造物はありません。街のなかは、みやげものを売る店ばかり。毛皮がたくさんありますが、本当の毛皮の売買は禁じられているそうなのでフェイクフェザーばかりだと中国のガイドさんの説明。

 漢方薬になりそうな植物の干したもの。木彫り、バケツに、蜂蜜がいっぱいついた蜂の巣を売っているおばあさん。




 


 入り口のトンネルで売られていた「蟠桃」は、上下が平たい、ユニークな形をした中国原産の桃で、不老長寿の伝説で知られる希少品種です。西遊記伝説で、孫悟空が天竺を目指す旅に出るきっかけとなったのが蟠桃。西王母の誕生を祝う会、蟠桃会に呼ばれなかったのに腹を立て、孫悟空は西王母の桃園の貴重な桃を食べ尽くし、蟠桃会で狼藉を働き、逃げ出しました。如来の手のひらから飛び出せなかったため、五百年間封印され、三蔵法師の弟子となるのは、その後のことです。「蟠桃」は栽培が難しいため市場に出回る量は少なく、「幻の桃」とも呼ばれ、日本国内では限られた地域でしか栽培されていないということです。食べてみると、水分は少なめですが、さほど甘くもなくさっぱりした味でした。

 山椒もたくさんの種類が売られていて、日本では見たことがないものもあります。ガイドさん曰く、これが一番おいしいという、少し赤みがかった山椒を1キロ?800円くらいで買いました。

 一粒食べてみても、それほど辛くはないのですが、あとで水を飲むと口のなかがビリビリします。一ヶ月くらいしてから、ミルで細かくして、麻婆豆腐に入れてみたら、日本にはない味がしました。さすが四川省です。山が深いといろいろな山椒があるのでしょうね。   

 一番ショックだったのは、ヤクの串刺しー焼き鳥ではなくて、焼きヤク。十本10元とあるから、一本一元、つまり20円くらい。ヤクの漢字は牛へんに毛、そう、毛の生えた牛、寒いところにいるので、毛がふさふさなのです。

    


 ああ、でも去年の夏に行ったモンゴルではヤクは食べないといっていた(下の関連記事にヤクの画像あり)ので、ヤクを食用にするというのはショックでした。ガイドさん曰く、松藩には、ヤクの屠殺場があるのだ、と。今回は、放牧しているヤクを見る機会はありませんでしたが、ヤクは高度3000メートル以上でないと生きてゆけない牛、となると、3000メートル以上には牛はいず、ヤクしかいないので、人はヤクを食べるということになるのでしょう。可哀想。。。けれど、昼の食事でヤクが出たらしいのでした。がーん。味は癖のない赤身の牛肉といった感じでした。そもそも肉はあまり得意ではないので一切れだけ食べた感想です。
 あとで、チベット、ラサに行かれたという方にお話を伺う機会があり、この話をしたところ、あちらでは、ヤクがないと生きて行けないのだとか。肉を食べる、ミルクをとる、ヨーグルトを作る、毛皮は防寒着にする(もしかして、角も?)ということで、高地の人にとっては、牛の代わりの大切な動物なのでした。

 ヤクのミルクで作ったお菓子も売られていて、買いたかったのですが、ガイドさんがいうには、自分の会社でも売っているので、あとでそれを買う方が安心、といわれました。あとで買った棗のヤクのミルク包みのお菓子は、こんな感じです。




  女篇に乃とある字はミルクの意、ミルク棗ということですね。 上の写真には、黒でヤクの絵もあります。 
 そんなに甘くもなく、後味がよかったです。生まれて初めて食べた味でした。       
 

 バスの駐車場付近まで戻ると、茶馬古道の説明がありました。茶馬古道は、四川省、雲南省、チベットを繋ぐ交易路で、その起源は西域のシルクロードよりも一千年も昔に遡るとか。四川盆地から雲南省を経て、チベットやミャンマー、インド、果てはヨーロッパへと続く道の中継所となる村では、お茶だけではなく絹や布、塩なども取引され、雲南省のお茶とチベットの馬による、いわゆる「茶馬古道」の交易が始められたのは唐代からということです。

 


 2012年3月に、昆明、麗江を訪れた時に、茶馬古道の説明を聞き、山の間の険しい一本道をみたことがあったので、感慨無量でした。13年前の写真を発掘しました。東河古鎮というところにあった、茶馬街道の拠点であったことを示す標識。

 これは、昆明のお寺でみたプーアル茶。こんなお茶を馬に積んで、はるばる松藩を通って唐の都まで行ったのでしょうか。写真はないのですが、昆明のお茶屋さんに案内してもらい、プーアル茶を買った時に、さくらももこ(「ちびまる子ちゃん」の作者)のサイン入り色紙があったのでびっくり。彼女は静岡県出身なので、お茶が好きで、旅先でいろいろな珍しいお茶を
もとめたのだとか。

 「松藩」という街はこれまで全く知りませんでしたが、売っているものが珍しく、茶馬古道の駅であったこともわかり、結構楽しませてもらいました。

 その日に泊まったヒルトン・ホテルの夕食は、お魚料理のバイキング。こんな山の中でお魚を出さなくても。。

        


 翌朝のヤクミルクのヨーグルトはおいしかったです。ただし、中国はプレーンではなくて砂糖入り。 

 ということで、ヤクネタ落ちでした。

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