2 江差・奥尻の旅

江差・奥尻の旅

 こんな時期に申し訳ありませんが、仕事が一段落(退職)したので、前から決めていた小旅行に出かけました。 心覚えの記録です。メインは最後の江差なので、適宜読み飛ばして下さっても。

 8月15日 JAL511便 羽田10時30分発ー新千歳12時5分着。出発が20分くらい遅れたため、夫は支笏湖行きのバスに乗り遅れたといって憮然としていた。私は、JR快速エアポートでまっすぐ札幌駅へ。駅からまっすぐ大通り公園に向けて南に下るが、大通り公園はオリパラの準備とかで通行止めの箇所が多く、迂回せねばならない。

 宿は札幌ホテルオークラ。9月20日閉館というので、宿泊客も少なく、寂しかった。ただ、非常にお得なプランがあったのでワンハーモニーから申し込んだ春の朝食付きプランを安いものに訂正してもらった(2万円くらい予算減)。宿に荷物を置いて、大通り公園の焼きトウモロコシを探したが、オリパラの準備で入れず、テレビ塔の下に一カ所あっただけ。ジャガイモとトウモロコシセットを買ったが、お味はごく普通。

8月16日 夫は夕張炭鉱を見るというので出かけた。私は、ぼんやりと近場で三越、丸井今井、丸善などを見て回る。中心街から徒歩というのは、普段考えられない贅沢なので、それで十分幸福。札幌は、早く亡くなった母の故郷でもあるので、何をみても懐かしい。道庁前を歩くと、庭の池の睡蓮は道庁の池のからもらったといった祖父の話を思い出す。

 夕方、キャンピングカーで北海道を回っていた息子一家と合流。オークラ地下の桃花林で上の孫のお誕生日をかねた食事会。時期が時期なので、奥の部屋を準備してもらってひっそりと。宿泊者用の割引プラン、一人4000円にアラカルトをつけて。東京のオークラでは考えられない価格です。 

8月17日 北斗8号、函館行、札幌駅9時28分発。白老10時30分着、途中下車。昨年は予約でいっぱいだったウポポイへ。事前予約をしておいたが必要なかった。見るところはいろいろあり、時間予約が必要なところも多かったのでだったので、4時間弱ですべて見ることはできなかった。新しくてきれいだが、オリンピック用に急いで作ったかなという感じで、ツメが甘い感じがした(特に博物館の映像)。一番印象に残ったのは博物館の知里幸恵の自筆ノート。アイヌ語の音をアルファベットで表記した小さなノート、大変美しい字だった。

 白老駅14時31分発北斗14号で新函館北斗駅16時45分着。宿は、ホテル・ラ・ジェント・プラザ函館北斗、駅から近い。駅には、コロナのせいか食事ができるところがなく、このホテルで食事(庶民的な感じだが、結構メニューは豊富)、大浴場もある。部屋は狭いがベッドもまあまあ。北海道新幹線の終電などで、北斗とまらねばならない時はおすすめ。

8月18日 あいにくの雨。7時52分の函館バスで姥神町フェリー前9時8分着。奥尻ハイランドフェリーで奥尻島へ。フェリーターミナル9時40分発、奥尻11時50分着。食事をするところがない。フェリー駅の建物内にはナポリタンくらいは食べられるところはあるが、地物がいい。フェリーの駅から、斜め前方に旗が立っているところに入る。名前はベタに「おくしり食堂」。メニューをみると、カレーライスにカツ丼、奥尻名物のウニとアワビは・・・ない。あとでわかったが、お盆ですべて終わっていたらしい。収穫も店も、観光客がいなくなると閉めるらしい。だからって、お盆の時は、楽天等の旅行サイトには全く掲載がなく、宿の空きはなかった(どうも大規模工事があって、その仕事をしている人たちで宿が一杯、普通の客は泊めないようであった。電話しても断られるばかりだったので、日帰りにした)から、仕方ない。


おくしり食堂のメニュー

 ようやく私は天ぷら定食、夫はイカフライ定食にすることに。天ぷらは地元の野菜があり珍しく、イカはとれたてでたくさんあっておいしかったとのこと。近くにランチの場所はないようで、混み合っていた。


奥尻でのランチ 天ぷら定食             

 観光案内所の人に頼んであったので、鍋釣岩と小さな町を見学して終わり。15時発のフェリー、17時江差着。宿までは徒歩。フェリーには、奥尻小学校の児童たちが乗っていて、修学旅行だとか。お母さんも送りに来ていた。どこを見るの?ときいたら「白老」ーウポポイですね。ウポポイ、こんな小さな子たちのためにも、もう少し頑張ってほしい。

  雨の鍋釣岩

 江差の宿はずっと泊まりたかった「江差旅庭 群来」。昨日のビジネスホテルの10倍の値段(ビジネスホテルや朝食のみ、こちらは2食付きですが)。「むれき」「むらき」と読むのかとおもったら「くき」、ニシンが群れてやってくる様子を「群来(くき)た」というそうで、そこからとった名前だとか。舟に見立てた平屋建て七室のみの宿。庭は海に見立てたという大きな石が敷き詰めてある。



    江差旅庭群来の前にある「群来」の説明



 群来の建物と庭(部屋にあった本より)

       

 食事は地産地消、オーナーの牧場の羊と野菜と卵、あとは近場のお魚、ゴミはファームに持って行き、一度もゴミを捨てたことがないというまさにSADGSを先取りした宿。部屋風呂も源泉掛け流し。お風呂は、本当にすばらしかった。夜に入ると、そこから見える中庭の石は、本当に海のようで、浴槽の舟に乗って、夜の海にこぎ出しているような気分になる。奥尻で食べそびれたウニもアワビも、ほんの少しだけれど夕食で賞味できた。

 翌日は、11時12分のバスなので、あまり江差見学時間がない。江差追分会館は、実演が11時からなので間に合わない。あれこれ考えて、法華寺まで行ってみることに。 

 他に客は誰もいず、親切なおかみさん(大黒さんというべきか?)に拝観料300円を払う。

中は撮影禁止なので、写真はないが、池大雅作の八方睨みの龍(あまりはっきりしなかった)が、飛騨の匠による木彫りの欄間、雷が落ちて折れた大椿やケヤキなど、ニシン御殿の時代を彷彿とさせて面白かったが、一番印象に残ったのが、寛保元(1741)年七月十九日の地震と大津波で一千四百六十七人が犠牲となり、法華寺がその菩提寺として祀っている、軸装された過去帳であった。寺のおかみさんに話を聞くと、江差と陸続きのカモメ島の先にある大島が大爆発を起こして、大津波が来襲したとのこと。

 10年前、2011年に起きた東日本大震災の津波はまだ記憶に新しく、1993年7月12日に起きた北海道南西沖地震の震源に近い奥尻島では、津波と地震で死者202人、行方不明者28人を出したこともそう古い昔のことではない。だが、この江差に活火山の島があり、こうした被害を出していたことは知らなかった。法華寺は、海沿いの江差の町よりも高台にある。主要なお寺や役所類は、皆山の上(おそらくは海岸段丘)に立っているようだ。そうした被害が想定されていたということなのだろう。ブラタモリに江差があったかどうかはわからないが、この海岸段丘はいつできたものなのだろう、だがそれ自体、大きな地殻変動が原因となっていることは確かで、改めて地震列島日本を思わせた。

 鰊御殿で知られる江差で、中村家住宅などもみず、そんなことを考えつつ、帰路についた。函館経由でJAL586便、15時5分函館発、羽田16時30発で、夏の小旅行は終わった。            



法華寺

            

法華寺の前の道からみた江差港               

              









            寛保元年の津波の犠牲者の過去帳(法華寺のパンフレットから)

 

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コメント

いさな さんのコメント…
群来に泊まりたい。夜の海に船出したいです。
M.Nakano さんの投稿…
いさなさん

コメントありがとうございました。
長いものを読んで下さって有り難う。

 詩的想像力を働かせたところに反応するのは、さすがいさなさんらしい、と思いました。
木の葉 さんのコメント…
「鰊群来」は春の季語です。「樺太の天ぞ垂れたり鰊群来 山口誓子」こんな雄大な俳句を詠めたらいいのだけれど、まあ私は無理です。地方はまだ見所満載ですね。中々外出ができないので追体験させて頂きました。
M.Nakano さんの投稿…
木の葉さん、コメントありがとうございます。「群来」が春の季語とは知りませんでした。てっきり江差の方言かと思っていました。教えて下さって有り難うございます。

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