28 暮れぬ間の今日
暮れぬ間の今日
一昨晩、突然訃報が入りました。病院で、外来受診を待っている間にお具合が悪くなられ、亡くなられたというのです。
参加されてからそれほど年数はたっていませんでしたが、最前列で講義を聴いて下さっていた方です。1月は、親戚のご不幸とかで欠席されていましたが、12月は、お元気で出席されていましたので、とても信じられませんでした。病院の外来で、診察の順番待ちをするというのは誰しも経験する日常に近いこと、そうした場で急に亡くなるなどということが起こるなどとは思ってもみませんでした。
紀貫之にこんな歌があります。
紀友則が身まかりにける時よめる
明日知らぬ我が身と思へど暮れぬ間の今日は人こそかなしかりけれ
(『古今和歌集』哀傷・八三八)
明日をも知れぬ我が身とは思っても、命が与えられている今日という日は、あらん限りの思いを尽くして亡き人のことを、痛惜をこめて恋しく思いたいといった意味となりましょうか。
醍醐天皇の命をうけ、我が国で最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の撰者に選ばれた友則は、同じ『古今和歌集』の撰者となった紀貫之にとって、従兄であり尊敬すべき歌の先達でありました。その友則が、延喜五年の『古今和歌集』完成を見ずに亡くなってしまったのです。「かなし」というのは、現代とは異なっていて、『万葉集』にみられる恋しさと悲しさが入り交じった、いわく言いがたい思いを表す語です。
この歌の「暮れぬ間の今日」というのは仏典の『出曜経』 にみられる話をもとにしています。 ある朝、釈迦の弟子である阿難が、托鉢のために舎衛城に入ろうとした時、門外では美しい姿の男が、歌を歌いながら舞を舞っており、見物人はそれに興じていましたが、托鉢を終わって城を出ると、この男は既に命が終わっていて、人々が号哭していたのでした。阿難が今日見聞したことを報告すると、釈迦は、元気であった人の命が、日の暮れぬ間に失われるのは何ら珍しいことではないとして、人の世の無常を実感させるために出曜の偈を説いたというのです。
紫式部は、貫之の「暮れぬ間の今日」を踏まえて、
うせにける人の文の、ものの中なるを見出でてそのゆかりなる人のもとにつかはしける
くれぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき
(『新古今和歌集』哀傷・856・紫式部)
という歌を詠みます。亡くなった人の手紙を、ものの中から見付けて、縁ある人のもとに送った歌です。自分の命が、今日暮れてしまうまでのわずかな時間であるかもしれないのに、そんなこととは気づかずに、死によって人の世のはかなさを知るのは空しいことですといった意味となりましょうか。貫之の歌が、仏説故事を用いているとしても素直に悲しみを表しているのに比べると、紫式部の歌は、ことばはこなれていますが少し理屈っぽいような気もします。けれど自分が無常の身であることと友の死を嘆くこととの矛盾そのものを問題化しようとした深い自己省察が見られるのは式部らしいですね。
亡くなったMさんは、たいへん達筆で、昨年の9月には、コロナで自宅謹慎ばかりだったので、夏休み明けに講座が始まるのが嬉しいというお便りを下さるような筆まめな方でした。
平成19年( 2007)6月9日(金)は、銕仙会定期公演(於 宝生能楽堂)「班女」でした。山下道代先生に声をかけて頂いて出かけたのですが、開演の冒頭、銕仙会のメンバー全員が舞台に上がり、突然謡いを始めたのです。観世榮夫師が8日早朝に他界されたので、「江口」・キリの部分を手向けとして捧げたのでした。初めての経験でしたが、能の世界では、このように亡き人に謡いを手向けるという伝統があることを知りました。
とてもそんなことはできませんが、にこやかに講義を聴いて下さったMさんに、せめてこの貫之の歌を手向けたいと思って書きました。
「江口」 キリ
思へば仮の宿 思へば仮の宿に
心留(と)むなと人をだに諫めしわれなり
これまでなりや帰るとて
すなはち普賢、菩薩とあらはれ 舟は白象(びゃくぞう)となりつつ、
光とともに白妙の、白雲にうち乗りて西の空に行き給ふ、
ありがたくぞ覚ゆる ありがくこそは覚ゆれ。
コメント
先輩の美しい筆跡に惹かれ どの様に学んだが聞いた事がありました 娘時代に関わった書の事 思いを色々話して下さったのは今でも心に残っています
和歌を手向けていただき有り難う御座います
コメントありがとうございます。
本当に突然のことでした。おだやかで、少女時代の可憐さが
残っているような方でした。
素敵なお話の思い出、宝物のように輝いていますね。
フログに取り上げていただきありがとうございます。
毎回、参加するのを楽しみにしているようでした。
部屋を片付けておりましても百人一首に関わる本など多数あり、この歳での学ぶ姿勢に驚きつつ、やっていることにもっと興味を持っておけば良かった、もっと話を聞いておけば良かったと思うことしきりです。
先日の講座の際も写真を飾っていただき、きっと母の気持ちは参加していたと思います。
和歌を手向けていただきありがとうございます。
「かなし」が身に染みます。
このコロナ禍において、たらい回しの間に尽きるというのではなく、病院で倒れ、すぐに救命処置となり手は尽くされた上ということで遺族としては悔いは残らないものとなりました。
あまりにも突然ではありましたが、かねてからみんなに迷惑かけずピンピンコロリがよい、とずっと言っていたのを体現することとなり、母らしいなと思っています。
まだ、寒い日が続きますが、講座の皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
ご覧下さいまして、丁寧なお言葉まで賜り恐縮いたしております。
母上様の突然のご逝去に、ご遺族の驚きと哀しみはいかばかりかと衷心よりお察し申し上げます。
思いがけず、突然この世を去られたことに、講座の皆さんもまだ納得のゆかぬ気持ちでいると思われますが、誰もが素敵な方だったとおっしゃる母上様は一同の憧れの存在でいらしたのでございます。
月曜日の講座は、お世話役の方の手厚い御芳志のおかげで、寂しいはずの机上には、お写真と美しい花々が飾られました。母上様はきっと天女のように紫と白の花の上に舞い降りて、にっこり笑いながら講義を聴いて下さっていたと信じております。
母上様のご冥福と、ご遺族の皆様のご健勝を心よりお祈りいたしております。
有り難うございました。