35 19伊勢(1) 百人一首一夕話の挿画解説ー歌と絵のズレについてー

 19伊勢(1)百人一首一夕話の挿画解説ー歌と絵のズレについてー

 今回は、まずカラーの絵を載せます。  


 松岡映丘「今昔ものがたり 伊勢図」(昭和4年秋)  静岡県立美術館蔵 (画像はパブリック・ドメインに拠る)

 昭和5年(1930)にローマで開催された日本美術展覧会に出品された4点のうちの1点。その後所在不明とされていましたが、平成14年に静岡県立美術館に寄贈されたということです。

   この絵は、『今昔物語集』巻24-31にある、伊勢にまつわる次のような話をもとにしています。醍醐天皇は、皇子の袴着の儀式のために屏風を作らせましたが、色紙形(絵にふさわしい和歌を奉らせ、書きつけて屏風に貼りつけるためのもの)を小野道風に書かせていると、歌が一首足りないことに気づきます。急遽、歌人として名高い伊勢御息所(「御息所」は天皇に侍する宮女の敬称、皇子・皇女を産んでいる場合をいうことが多い。)のもとへ藤原伊衡(ふじわらのこれひらー藤原敏行の次男。父の敏行は『百人一首』18〈つまり伊勢の一首前の歌〉「住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらん」の作者です。伊衡は、教養も高く、たしなみのある美男であったといいます。)をつかわして、歌の詠進を求めました。伊勢は、突然のことに困惑しつつも、待たせている間、女童や女房たちが、お酒の好きな伊衡に酒を呑ませ、帰り際には、彼に美しい衣装をかづけるという洗練されたもてなしをし、彼を戻らせました。伊勢の詠んだ歌はすばらしく、醍醐天皇をはじめ宮中の人々を感嘆させたというのですが、この話は、庶民の人々の生業を描くことが多い『今昔物語集』では珍しく、伊勢の五条の邸の描写や、女房たちが伊衡をもてなす場面が、『源氏物語』を彷彿とさせる美しい王朝絵巻を思わせる描写となっているところに特色があります。

 松岡映丘が描いたのは、伊衡が邸に上がり、伊勢の歌を待っている場面、女房たちのもてなしを受けているところですが、国宝『源氏物語絵巻』と同じ斜め上からの吹抜屋台の構図で、右上、画中の最も奥に座しているのが伊勢御息所、頼まれた歌を書くために、紫の紙を筆を手にしています。その左下の一段外側の空間には女房たち、さらにその左下、御簾の外にいて簀子に座っているのが伊衡、歌を待つ間、女童に酒を勧められ、もてなされています。『今昔物語集』には、少し酔いが廻ってきて桜色に染まる伊衡の美しさは女房たちもうっとりするほど、丁度旧暦の三月、庭には桜が美しく咲いている、とあります。

【『百人一首一夕話』伊勢の挿画】 

 巻之二 四十七裏 四十八表

【翻字】

 古今

 逢にあひてものおもふころの我袖にやどる月さへぬるゝ顔なる

    伊勢

(凡例)

  ⑴ルビは()内に入れ、すべてひらがなとした。

  ⑵句読点、仮名遣い、送り仮名は原文のまま。くり返し符号は適宜読み易いように処理してある。

   ⑶行は本文通りではなく、読み易いように改めた。

 ⑷漢字は可能な限り新字体に改めた。誤字と思われるものがある場合、原文のままとして、 ※をつけ、【注】のところに正しいと思われる字を注記した。

  【大意】

  よくもぴたりと合うもので、もの思いをしている私の袖の涙に映る月さえ濡れたような顔をしていることよ。

  【解説など】

 歌は『古今集』恋五・756に載せられているものです。『百人一首一夕話』では「逢(あひ)」という字が用いられていますが、たいていの注釈書では「合」という字があてられています。『古今集』では恋部の歌ですから、「逢」という字の可能性もないわけではないのですが、『伊勢集』では「世の中の憂きことを」という詞書がある一連の歌のなかの一首、つまり恋の歌ではありませんから、やはり「合」の字をあてた方がふさわしいと思われるので、そちらで現代語訳しました。つらい、悲しいことがあって流れる涙の玉が袖に宿る、その涙に映し出される折からの月までもが泣き濡れたように見えるというのですね。月と涙というと、『百人一首』86番の西行の歌「なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな(歎けといって月がもの思いをさせるのだろうか、そうではないのに、それを月のせいにしてこぼれ落ちる涙であることよ。)」を連想させます。伊勢の歌の方が時代が先ですから、西行の歌は、こうした伊勢の歌も意識して作られたと考えられます。西行の歌は少し回りくどい言い方をしているために、少し叙情性が削がれているような気がしますが、伊勢の歌は素直です。

 袖と涙、その涙に濡れた袖に月が映るというのは、伊勢の歌以後、和歌の常套的な取り合わせとなってゆきます。

 梅の花匂ひをうつす袖の上に軒もる月のかげぞあらそふ(『新古今集』春上・44・定家)

 梅の花がしきりに匂いをうつしている袖の上に、軒端から射し居る月の光が、(私の袖の涙に)劣らじと映っていることだという、『伊勢物語』第四段をもとにした、一連の歌群の最初にある定家の歌も、月の光が袖に映っています。袖は、最愛の女性の喪失を歎く男の昔を恋う涙で濡れた袖なのです。

 「あひにあひて」の歌の解釈に深入りしてしまいましたが、この『百人一首一夕話』の絵はどうでしょう。涙にくれる女性もいませんし、月も描かれていません。これまで『百人一首一夕話』の挿画の上に書かれている文章(ここでは歌ですが)は、絵の説明をする役割を果たしていましたが、今回はどうも違うようです。

 『百人一首一夕話』で語られる伊勢の話は殆ど、先にあげた『今昔物語集』巻24-31のあらすじなのですが、実はこの絵は、その本文をもとにした一場面となっているのです。つまり、伊衡が醍醐天皇の命で伊勢に歌の詠進を求めて邸を訪ねた一コマ、松岡映丘が描いた絵と同じ場所が描かれているのですが、衣装を掲げた女房がいますから、上の絵の少し後、伊衡が帰る際に、使いの料として美しい装束を与えられるところなのです。呑まされたお酒も描かれていますね。男性が伊衡、あとは女房たちで、伊勢は、御帳台の奥に隠れていて描かれていません。

   さて、『今昔物語集』巻24-31で、伊勢が詠進した歌は、

 散り散らずきかまほしきをふるさとの花見て帰る人も逢はなむ

 花が散ってしまったか、まだ散らないでいるか聞きたいものを、昔なじみの里の花を見て帰ってくる人に行き逢いたいものです、というもの。『伊勢集』、『拾遺集』に載せられています。歌が抜けていた屏風の絵は、花が咲く山路を女車が行くというもので、まさに絵にふさわしい歌となっています。屏風歌は画中人物の立場になって詠むのが原則ですから、伊勢はふるさとの花を見に行く女車の女性となって、花が散ったか散らないかを案じているという歌を詠んだのでしょうね。今でも花見にゆく時は、ゆく先の花が散ったか散らないか気になるもの、時代を超えた普遍性のある歌ですね。

 この「散り散らず」の歌は、『百人一首一夕話』の伊勢の話の本文にも登場します。本文の歌と画像部分の歌が重複するのはあまりにも芸がないと思って、「あひあひて」という別の歌を載せた、そのために歌が絵の説明になっていないという現象が生じたのではないでしょうか。あるいは他に理由があるのかもしれませんが、今のところは思いつきませんので、あとで何か気がつきましたら、追記することにします。


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