65 飯坂温泉の宿

飯坂温泉の宿

  3月14日、15日と、義弟と義父母の法事がありました。私と同年の義弟は一昨年亡くなりましたが、コロナのこともあって、義弟の家族がこのような時期に遠方から来て頂くのもといって遠慮していたので、ようやく今回お参りすることができたのでした。
 文字摺観音(『伊勢物語』初段、『百人一首』河原左大臣の歌にでてくる「しのぶもじずり」の「もじずり石」がある)のある安洞院というお寺に義弟の墓があります。ようやくお参りできて肩の荷が下りました。

 義父母の墓参りは翌日として、その日は飯坂温泉に泊まりました。
 飯坂温泉はJR福島駅から福島交通飯坂線に乗り換えて、約25分で到着します。

 駅から徒歩15分のところに、瑠璃光山 医王寺(醫王寺)という、長谷寺を総本山とする真言宗豊山派の寺院があります。平安時代、天長三年(八二六)に開基され、奥州藤原氏の家臣であり、飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺です。 佐藤一族といってもピンとこないかもしれませんが、歌舞伎『義経千本桜』 四段目、道行初音旅で、静御前が「初音の鼓」を打つと誘われるようにして現れる(鼓が母狐の皮でできているから)狐忠信のモデルは、この一族の一員である佐藤忠信なのです。兄継信と忠信のお墓があります(何年か前に訪れたので今回はいきませんでしたが、紹介しておきます)。
               静と狐忠信
           国立劇場平成13年11月歌舞伎公演のパンフレットから
 
                  佐藤継信・忠信墓碑
            墓石を削ると病が治るというので、削られた跡があるそうです。  


 今回の宿は、飯坂温泉駅から徒歩五分、飯坂温泉発祥の地、湯沢地区にあります。非常に有名な共同浴場、鯖湖湯(変わった名前ですが、鯖湖親王が開いたという説もあります。鯖湖親王、はじめて聞く名前ですが)のすぐ近くで、同じお湯を引いている源泉掛け流しのお風呂がある「なかむらや」です。
 混んでしまって、泊まれなくなると困りますから、旅行、宿フリークの私としては、本当はあまり教えたくない素敵な旅館なのです。かつて泊まった尾道の某宿が、あまりにすばらしかったのでで、トリップアドバイザーに「誰にも教えたくない宿」と書いたら、『家庭画報』がみつけて(??いや、独自取材というでしょうけれど。あの頃トリップアドバイザーもマイナーで、書き込みをする人も少なかったし、それまで全く出ていなかったのに、私が書き込みしてからしばらくして、たびたび取り上げ始めたのですー美容院にゆくと、だいたい『家庭画報』はチェックするので)、今でも尾道というとそこが登場します。海に向かうトンネルのようになっている温泉がすばらしいのです。たぶん混んでいるのだろうな、と思ってもう行くことはありません。
 と、余計な話になりました。

 本当は内緒にしておきたいですが、このブログはそんなにあちこち宣伝していませんので、知り合いしか見ていないと思いますので、長いことお休みしてしまったお詫びに、載せることにしました。

 階段のみの日本旅館ですし、ベッドはなくお布団ですし、トイレも外にあります。食事も椅子ではありませんから、そうしたことが気にならない方むけの旅館ではあります(今回は人数が少なかったのでテレワーク室を使って、テーブル、椅子席での食事にしてもらいました。お願いすると、こちらの立場にたってすぐに対応してくれるという点でも申し分のない宿です)。

 元禄元(1688)創業、江戸末期建築の「江戸館」、明治時代中期建築の「明治館」の二棟からなる、白壁土蔵造りの木造三階建て、現在では国登録有形文化財に指定されている建物に泊まることができるという体験はそうありません。しかも五人以上ですと、全館貸切にできる!!。他のお客なし、自分たちだけなのです。

 「なかむらや」のHPには、

  江戸館正面の二階外壁には鏝絵で装飾された【花菱】【丸に違い鷹の羽】の家紋が二つ仲良く並び、この建物を大切にした先人の想いを強く感じることが出来ます。客室床の間には楓、松,欅、また随所に自然木などを使用しており素朴ながらも味わいのある造りとなっております。(棟梁は不明)
明治館は1896年(明治29年)に増築、外部は江戸館と同じく土蔵三階建て、外壁は総漆喰仕上げです。建物内部は欅を贅沢に使用しており、床の間は書院造で銘木【紫檀(したん)】【黒檀(こくたん)】【鉄刀木(たがやさん)】【黒柿】など現代では手に入らない貴重な材木が使われています。客間の随所に職人の腕の良さが感じられる装飾が施してあり、現在ではなかなか見ることのできない技や美しさがあります。当時は三階建ての建造物は非常に珍しく、近郷近在から見物人がやってきたと語り継がれています。

という説明があります。部屋などはHPで見て頂くことにして、少しだけ撮った写真を。
    
           これは室内です。室内になまこ壁があるというのも珍しいです。

 高い梁に一つだけ作り付けられたステンドグラス。女将の話では、ある日の太陽の光によって、非常に美しい色が廊下に映し出されるのだとか。ヨーロッパの教会のステンドグラスみたいです。
             

 階段にある柱は下まで突き通っていません。釣り天井の仕組みで作られているので、地震でも全壊を免れた、とか。

 明治館と江戸館の境目を示す立て札が立てられたところにトイレがあります。昔風のトイレですが、ちゃんと洋式です。驚いたのは、その天井と壁面。全て白色のガラスで花の絵が描かれています。これは天井の朝顔。



 こちらは、前方の壁面の朝顔。
          右は、別室の天井に描かれた薔薇。








 壁面も三面あって、それぞれに同じ花が描かれているのですが、光が映り込んでしまって、うまく撮れませんでした。全部で三室あります。朝顔と薔薇と、下は三室目の天井の赤い芥子(あるいはカラー?)図。トイレの写真が最多になってしまって、すみません。
 

 
   翌朝、一階にある手作り和装小物の展示所に飾られていた一絃琴と月琴。絃を張っていなくて、とおかみさんが恐縮していました。こちらは月琴。

  
                          一絃琴

  本当にお宝の山といった感じで、楽しませてもらいました。 食事も、特別なものはないですが、手作り感のあるよいお味でした(写真を撮るのを忘れました。若い人のように食事前に写真をとる習慣ができておりません)。

 今、旅館は工事中で足場とネットがかかっていますが、一昨年と昨年2月の福島沖地震に伴う修復工事だということです。二つのの福島地震については、新聞で報道されましたが、以後のことは何も載っていなかったので、 さほど大きな被害はなかったと思っていました。実は修復工事が必要なほど大変な地震だったので、あまりたくさんお客をとらないようにしているとのこと、少人数で宿一棟貸し切り、源泉掛け流しの温泉で、さほど高くないという、東京では考えられないプランがあるのは、そうした事情もあってのことらしく、こちらには、ありがたいことでした。

  昨今の地震でも修復が必要だというのですから、平成23年3月11日の東日本大震災では大変だったことでしょう、と聞くと、大規模半壊の被害を受け、その後四期の工事を経て元の姿に修復されたのだそうです(平成28年に第32回福島県建築文化賞において復興賞を受賞したそうです)。そのあとの地震にも被害を受けて修復中、地震は怖いといいながら、今年79歳(若々しくて元気とてもその歳にはみえない)になるという女将が話してくれた震災の体験談は圧巻でした。

 12年前(なんと今年で十二支が一回りしたということは、私がアラ○〈いやJUST○〉の時だったのだ、と気づいてショックでした)の3月11日、東日本大震災の時は、浪江から、飯坂の中学校の体育館に、たくさんの人が着のみ着のままで避難してきたのだそうです。食料や水、寝るところなどはとりあえず供給されたのでしょうけれど、困ったのがお風呂なのだそうです(阪神大震災の時も、学会で出会った先生が、一番困ったのがお風呂といっていました。自衛隊でお風呂の車も準備されていると聞いたことがありますが、そんなに多く入れるわけではないと思います)。
 それで近くの旅館が協力して、避難してきた人を順番にお風呂に入れることにしたというのです。「なかむらや」は、そう大きなお風呂ではないので、せいぜい5人までですが、二つあるので男女を分けて、5人ずつということにしたのだそうです。黒山の行列ができたそうですが、皆一言も文句を言わず、黙って順番を待っていた、というのは、世界でも驚いていた日本人らしい礼儀正しさですね。
 着替えも、近所の人に頼んであるものを出してもらった、やがてこの話が新聞に出て、全国から衣類が集まったので、出入り口に並べておいて、自由にもってゆけるようにしたのだといいます。震災直後から仮設住宅が建設される前の2,3ヶ月くらいの期間のことだったのでしょう。

 旅館の方々も、半壊したままの建物にいて、自分たちだって容易ではなかったろうに、人を泊めることはできないからと、こうした無償の行為を粛々と行っていたことに胸を打たれました。当時は、情報が錯綜していて、有名人や芸能人が慰問にいったとか、ボランティアをしたといったくらいの話はマスコミに取り上げられましたが、こうした方々の善意あふれる行いはなかなか耳に届かず、震災後十二年目にして初めて知ったことでした。
 
  義兄、義姉、義妹、そして夫、みな福島出身で、飯坂温泉には何度も泊まったことがあるけれど、こんな宿は知らなかった、 といいます。
 福島出身ではない者が、たまたまリサーチで見つけた宿でしたが、大当たり。最近は殺伐としたことが続く世の中ですが、人間っていいものだなという、小さいけれど確かなぬくもりの火が胸に灯されたような思いで、義父母の墓参に向かったのでした。

            目次へ

コメント

Unknown さんの投稿…
ようやくウィズコロナの生活が起動に乗り始め、例年になく早い桜の開花もあり、観光地の人出が戻ってきたようです。飯坂温泉の素敵なお宿の話をありがとうございました。実は連れ合いの独身時代の初任地が福島でした。その頃借りていた家は飯坂線の沿線にあったそうで、飯坂温泉もかなり利用していたようです。もう五十年近く前のお話。医王寺の話から、福島には佐藤姓が多いのだとか当時は混浴もあったとか色々話してくれました。以前にも聞いていたかもしれない話でしたが、先生のブログから発展して、再度リサーチすることが出来ました。
M.Nakano さんの投稿…
コメントありがとうございました。ご主人様の初任地が福島で、飯坂線の沿線に住んでおられたとは初耳です。福島にもご縁があったのですね。

 飯坂温泉の公衆浴場、鯖湖湯はたいそう熱くて、なかなか湯船に入ることができません。それでもお金を払ったからと思って意地で入って我慢したという思い出があります。旅館のお湯は、水で温度調節ができますけれど、女将は熱くないと飯坂の湯ではない、といっていました。

 混浴は、飯坂の現在はどうでしょうか。青森県の酸ヶ湯はまだ混浴ですけれど。そういえばドイツのバーデンバーデンも混浴が原則だとか。別浴(たしか「セパレートデー」といっていました)の日なので、ほっとして、男女別の入り口から入りましたが、途中に通路があって、女性の方から男性の方に行くことはできます。一糸まとわぬ女性が、その通路を通ってあちらに行ってしまったので、仰天してみていました。。。と思いがけぬ話になってしまいました。失礼。
 
匿名 さんのコメント…
初めて投稿させて頂きます。
飯坂温泉の記事、しみじみと拝見致しました。
義弟様まだまだこれから、人生が楽しましたのにー心よりご冥福をお祈り申し上げます。
飯坂温泉は関西に住む私には馴染みの薄い所、いろいろと所縁の事柄満載に勉強させて頂きました。それにしても長文の記事、写真などなど盛り沢山、ご多忙のところをと感嘆しています。
遅ればせながら「うそ替え神事」のこと少し触れさせて頂きます。、
「須磨の天神さん」として親しまれている「須磨の天神社」は「うそ替え神事」の営業、すごいですよ。
くだらない一言でした。今後とも宜しくお願い致します。
神戸いいと子
M.Nakano さんの投稿…
神戸いいと子さん

 コメントありがとうございました。義弟の冥福をお祈り下さいまして、誠に有り難うございました。退職後、まだまだやりたいことがあったと思うのに、本当に残念です。

 「須磨の天神さん」のことは初耳です。教えて下さって有り難うございます。
 
「綱敷天満宮」のことでしょうか。
 
https://www.tsunashikitenmangu.or.jp/

 ずいぶんバラエティに富んだ、たくさんの「うそ」さんの写真があります。びっくり。
 
 また関西の情報など教えて下さると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。
匿名 さんのコメント…
ささやかな投稿に、ご丁寧なお言を頂き有り難うございいました。
通称、「須磨の天神さん」と言っていますのは、綱敷天満宮のことです。
紅梅、白梅など数本ありますが、それほど敷地は広くなく、都会の神社と言った感じです。
神戸市の東、東灘区にある綱敷天満宮は、阪神淡路大震災以前は、もっと北の位置にあり、敷地もあり鬱蒼としていて雰囲気のある神社でしたが、南に移り大分雰囲気が変わったものの、須磨の天神さんよりは、趣があるでしょうか。インターネットに写っているほどでもありませんが。
飯坂温泉の記事の写真、ため息交じりに改めて眺めております。
お元気でのますますのご報告楽しみにしております。
感謝
神戸いいと子
M.Nakano さんの投稿…

神戸いいと子さん

早速の関西情報、有り難うございます。

 綱敷天満宮は、阪神淡路大震災で南に移ったのですか。天満宮にも地震の影響があったとは。
なんか65回は、東北と阪神の地震のお話となりました。

 さぼってばかりおりましたのに、励ましの言葉を頂き、どうも有り難うございました。

人気の投稿