74 二つの到来物ーケサランパサランと一銭銅貨
二つの到来物ーケサランパサランと一銭銅貨
一昨夜、二階の雨戸を閉めようとした時、手のひらの半分くらいの大きさの白いものが、ふわりと入ってきました。私は羽の生えた飛ぶ虫(文字にするのも恐ろしいので名は書きません)を見ると、原初的な恐怖感が呼び起こされるので、思わず「ぎゃー」と叫んで飛び退きました。布団の上にふわりと落ちたので、おそるおそる見ると、タンポポの綿毛の大きなものみたいで、虫ではないようです。それでも怖いので、ティッシュに包んで、ごみ箱にポイと捨てました。するとグーグルウォッチがブルブルと振動し、画面をみると「大変大きな音のする環境にいるようです。この音を10分間聞き続けると難聴になる恐れがあります」などと表示されています。まったく大きなお世話、10分間も叫び続けていられるわけはないでしょう(^^;)。グーグルウォッチは、朝早くたくさん歩いた時など「こんな時間から目標達成とはすばらしいです」などと褒めてくれるすぐれものですが(AIですかね。生成AIほどではないでしょうけれど)、時々余計なお世話をしてくれます。今回も同じこと、進化した腕時計とこれ以上会話を続けても仕方ないし、この話はこれで終わりと思っていました。
ところが、翌朝パソコンを開いてFacebookの「花が好き」といったような名の、お気に入りサイトをみると「ケサランパサランが入ってきました」と書いてあって、写真が載っています。あれ、なんだか昨夜のに似ている、もしかしてそうなのかしら。ケサランパサラン、名前は知っていましたが、まさか実物とは。あわてて、ティッシュを探し出し、取り出してみると、いささかつぶれてしまっていますが、ちゃんとあります。入ってきた時は丸くてふんわりしていたのに、ティッシュでつぶしたから見る影もない。ごめんなさい、ケサランパサラン。 よく見ると、白いタンポポの綿毛のようなものが大小三つくらい絡まっているのですが、綿毛よりは大きいし、綿毛のふわふわした冠毛と種子を結ぶ茎のような一本の線のところが、光のあたる角度によってはキラキラと金色に輝いてみえるのです。
背景の色を変えて別の角度から撮ったもの
ケサランパサランの正体は、たんぽぽの綿毛など植物由来のもの、ウサギの体毛など動物由来のもの、あるいは昆虫(雪虫、アオバハゴロモの幼虫)など諸説あるようですが、現在でも明らかになっていないようです。1970年代、その名称や形状の特異さによってブームを巻き起こし、マンガやテレビなどにも登場したのだとか。もう50年たっていますが、ブームは去っても、ケサランパサランは健在のようです。
フェイスブックには、「逃がしてあげました」とあります。あれ、生き物なの? 生物説には、お白粉で育つという話もあるそうなので、これはしばらく保存してみることしました。小さな箱に入れ、何とか生き返って合体し、もとの丸い姿に戻ってねという願いをこめ、香料なしのお白粉を少し振りかけました。ケサランパサランをみると幸福になるという話もあるそうですが、一年に一度しか見てはいけないのだとか。もう10回は見てしまったので望みは薄そうです。
さて、話は変わりますが、平安時代、道綱母によって書かれた、初めての女流日記文学とされる『蜻蛉日記』の上巻(安和元年九月)の結びには「かく年月はつもれど、思ふやうにもあらぬ身をし嘆けば、声あらたまるもよろこぼしからず、なほものはかなきを思へば、あるかなきかのここちするかげろうの日記といふべし」という文章があります。『蜻蛉日記』という命名の由来を自分で書いているのです。この「かげろふ」とは何を指すか、という議論があり、
①陽炎(野馬)
②蜉蝣(ウスバカゲロウのなかま)
③蜻蛉(トンボ)、
④いとゆふ(gossamer)
という四つの説があります。
④は川口久雄先生が唱えた説ですが、ゴッサマーというのは、 空中を飛ぶクモの糸をいい、ケサランパサランと同じ種類のものなのだとか。『蜻蛉日記』の「かげろう」がケサランパサランだとすると面白いですね。
ただ、私としては、「蜻蛉」は当て字で、①「陽炎」を意味すると思っています。「陽炎」は、春の天気のよい穏やかな日に、地面から炎のような揺らめきが立ちのぼる現象をいいますが、仏教では、あるかなきかのはかなさや無常を象徴する譬喩として用いられます。道綱母が自身で「あるかなきかのここちするかげろうの日記といふべし」と述べていることからして、やはりケサランパサラン説はちょっと無理かもしれません。
もう一つの到来物。話は5月に遡ります。夫が、何だろう、駅の券売機で入金できなかったと言って小さなコインを眺めているのです。確かに現在日本で流通しているコインより小さくて、海外のものかしら、などといいながら手にとると、小さくてとても軽いのです。文字を判読するのは難しいのですが、漢字で「大日本」と書いてあるような。少し歯磨き粉をつけて古い歯ブラシで磨いてみると、「一銭」の文字が浮き上がってきました。下には「大正十三年」とあります。
なんと、こんな古いものが出回っていたとは。行年99歳。私たちよりずっと年上です。大正、昭和、平成、令和の長きにわたり、さまざまな人の手を経て、たくさんの距離を旅していたのかしら、あるいは、しばらく誰かの家の隅で長いこと眠っていたのかしら、などなどとさまざまな想像をかきたてられます。
慶長小判でもない、一銭銅貨ですから、高値がつくはずもなく、ネットでしらべてみると、買えば275円くらいのようです。きれいなもの、とあるので、こんなにすり減って汚れていては売れそうもありません。
見つけたのは、ちょうど義兄の手術の日(5月18日)でした。ほどなく、無事に終わったという知らせがきたので、これは彼が99歳くらい長生きするという神様のお告げかもしれない、と思って保存することにしました。
と保存するばかりなので、結局断捨離ができないのですね。
(追記)
2023年8月4日12時50分頃 帯広駅ホームにてケサランパサランが二つ飛んでいました。一つは線路上でしたが、もう一つは何とか捕まえることができました。
特急おおぞら6号(札幌行 帯広12時56分発)の座席の上のケサランパサラン。少し小さめですが、今度はそっと手にとったので、何とか全体像をお見せすることができます。
コメント
ケサランパサランは、初耳でした。でもその形状のものは、今までに何回か目にしているように思いました。そんなに50年も前から命名されていたとは驚きでした。確かに不思議ですよね。最近では、自宅のマンション7階のベランダにフワフワと飛んで来たのを見た記憶があります。タンポポの綿毛よりはるかに大きくて、ゆっくりしていて、羽毛とは違う不思議な形状でした。動きが何ともゆっくりで優雅だったので、虫とは思いませんでした。植木に着地するのを見届けてそのままにしてしまったような。
今度ケサランパサランに、お目にかかることがあれば、もう少し観察してみたいと思いました。(その時にすぐこの名前が思い出せるかどうか笑たぶん無理ですね。)
『蜻蛉日記』の「かげろう」は、私も「陽炎」だと考えておりました。日本語って当て字の文化のようなところがあって、面白いと思います。
私も24時間スマートウォッチを着用していますが、一日の目標6千歩を達成するとブルブルしておめでとう!と教えてくれたり、座っている時間が一時間を超えると、またブルブルして「立って運動してください」とアドバイスをくれたり、あとは毎日の睡眠時間を確認しています。プールで泳ぐときも着用しています。
一銭硬貨のお話、確か私も、数年前実家の整理をしたときに、明治31年生の祖母の遺品の中に見つけた記憶があります。大正13年は、干支で言うと甲子です。その一年前が舅(夫の父)の生年で、この秋もう50回忌になります。ところが大正13年生の方と、5,6年前まで、古典の講座でご一緒していたこともあります。人生100年が更に120年に伸びつつあるという現代。ご主人様のお持ちだったその一銭硬貨は、どんな旅をしてきたのでしょうね。
何ともロマンを感じるところです。
私は実物を未だ見たことがありません。
ケサランパサランに遭遇しやすい人もいるのかも知れませんね。
四つ葉のクローバーを見つけやすい人もいて、私はその一人ですが、有り難みがちっともありません。
浜辺を歩いていて鯨糞と出くわしやすい人もいるのかしら。
なんとも羨ましいことです。
確かに今年は、私にとってケサランパサランの当たり年らしくて、あのあとご近所の庭にふわふわ飛んでいるのを見て、手に取りました。全部で三つ、箱に入っています。でも動物とは思えなくて、何か植物の綿毛のような気がします。
浜辺の鯨糞???
調べたら、「鯨糞」は、「竜涎香」ともいう、マッコウクジラの腸内で自然に精製された結石が原料で、フェロモンのような強烈な香りを放つ麝香(じゃこう)と並ぶ「香の王者」とあります。強烈な匂いがするなら、見つけられるかもしれませんね。一つ知識が増えました。有り難うございます。
英国で発見された「鯨糞」には50万ポンド(約6700万円)の値段がつけられたとか。
うーん、それに比べて、ケサランパサランは可愛らしいだけで、売っても一銭にもならないような気がします(涙)。