75 35貫之1ー蟻通神社
貫之1ー蟻通神社
8月16日は、京都で大文字の送り火を見る予定でした。宿も予約し、五つの送り火を全部見ることができるという日帰りツアーも予約しました。
15日は台風7号の影響で東海道新幹線は全日運休でしたが、16日朝のニュースでは雨も上がり、台風は日本海に抜けたとのこと、東海道新幹線も平常運転とあります。12時31分発ののぞみに乗る 予定なので、ゆっくりすればいいわと思って、10時過ぎにネットをみると、なんと 三島ー沼津間に線状降水帯が発生し、8時30分から運転休止となっていました。あれこれ調べてみましたがどうにもならないので、時間の少し前に、荷物をかかえて新横浜駅に行きました。たくさんの人が立っていて、「みどりの窓口」は大変な行列。駅からあふれるほどではありませんが。これは無理かなと思って、とりあえず払い戻しの列に並んで、スタンプを押した紙をもらって一安心。様子を聞くのにもう一つの列にならんで、駅員さんと話してみましたが、わからない、電光掲示板も壊れていて当てにならない、とのこと。改札を降りてくる人がいるので、あの人たちは?と聞くと、上りで東京に行こうとしていたけれど、ここで降りる人と、下りも四台くらいの車両が止まっているので、入ってみて混んでいるので止めて降りてきた人たちだというのです。
これは無理だと思って、家に戻りました。14時30分頃運転を再開したらしいですが、のろのろ運転で、多くの列車は運転休止となり(私が乗るはずだった列車も運転休止)、グリーン車も含めて全て自由席になったようです。大変な混雑のなかで、ふだんの何倍もかかる時間を立ってゆくのは体力的に無理だと思ってあきらめました。宿の方は、事情を話すとキャンセル料なしで取り消してくれましたが、ツアーの方は半額とられました。今まで読んでいなかった規約をよく読むと、列車などの都合でも行けなくても払わなければいけない、とあります。非常に理不尽、こんなことがあるからキャンセル保険というものができたと知りました。列車は全額払い戻しになりますが、宿や現地ツアーはそうはゆかないのですね。
今までは、たいてい予定通りに行くことができたので(キャンセル料を払ったのは、コロナウィルスの蔓延で旅行に行けなくった時だけでした。海外のフライトだったのでどうにもなりません)、こんなことはほぼ初体験でした。それにしても若い時ならともかく、まさかこの年齢でお盆の帰省ラッシュ(+台風直撃+余波)に巻き込まれるなんて。
さて翌日。もう一泊宿をとってあったので、今度は大丈夫だろうと思って調べてみると、東海道新幹線は相変わらず大幅遅れとなっています。今日の宿は大阪、ネットのサイトで取ったので、泊まらなければ宿泊料は全額取られてしまいます。それも悔しいし、だからといって自由席で長時間立つ体力的自信もありません。飛行機はどうだろうと思って調べると、JALは全て満席でしたが。ANAのサイトをみると、16時30分発のSFJとの共同運航便、関西空港行きに少しだけ空席がありました。 本日の目的地は、関空から20分くらいなのです。新幹線に乗っても、大阪からまた1時間くらい乗らねばならないなあと思っていたので、これ幸い、エイっとチケットをとりました。もちろん当日料金は高いですが、株主優待チケットを一つ持っていたので、半額ですみました(それでも新幹線より2000円くらい高いです)。
関空には定刻の17時55分着。JRで日根野に行き、そこから乗り換えて一駅先の長滝へ。18時41分頃長滝駅着。目指すは蟻通神社。でも、駅員さんもいない無人駅で、道を聞くこともできません。まだ明るいですが、暗くなったらどうしよう。ただでさえ方向音痴なのに。
葛飾北斎 – 名所絵 蟻通神社 [名品揃物浮世絵9 北斎IIより]パブリック・ドメイン まだ暗くなっていませんが、もう日が傾いています。暗くなったら怖いし、写真も撮れない。近くに交番もないので、グーグルマップを印刷した地図を頼りに駅を出て左に歩き始めます。方向音痴の私がこの通り10分余りでたどりつけるかどうか、時間との勝負です。ローソンを右に曲がると一本道。7、8分歩くと、大谷自動車という地図にもある大きな目印が見えてほっとしますが、その先がよくわかりません。地図ではどこかを少し曲がるような印があります。大きなお庭のある家の前を通った時、野菜の世話をしている方がいたので、「すみません、蟻通神社はどこですか」と聞いてみました。なかなかふりむいてくれなかったので何度も話しかけると、玄関の前にいた女の子が「お父さん」と声をかけてくれて、やっと気づいてくれました。「その先の木のあるところ」と教えられ、ほっとして、お礼をいって、4,5分歩くと着きました。やはり人に聞くのが一番ですね。手前に池があって、貫之の歌と「紀貫之大人冠之渕」という碑があります。歌碑は、昭和43年、紀貫之大人冠之渕保存会によって建立されたそうです。
貫之の歌は、
かきくもりあやめもしらぬ大空にありとほしとは思ふべしやは
『貫之集』の詞書によれば、貫之が紀の国に下向した帰り道、突然馬が死にそうに苦しみ始めたところ、道行く人々が立ち止まって「これはここにいらっしゃる神がなさるのでしょう。長年社殿もなく、目印も見えませんが、困った神様です。以前もこのような場合には祈りを捧げました」というのです。奉納する幣などもないので、特別な作法もせず、手を洗って、「神がいらっしゃるようには見えませんね。そもそも何の神と申し上げるのですか」と尋ねると、「蟻通しの神」といったのを聞いて、この歌を詠んで奉納すると、馬の病は治まった、とあります。
歌は、「あたり一面に曇って見分けもつかない大空に星があるなどと思うことができましょうか」といったような意味で、「ありとほし」と神の名が詠み込まれています。歌に神の名を入れるために「有りと星(星があるとは)」と、無理な語順にしたのですが、馬の病が治ったのですから、神は奉納した歌を受け入れて下さったのでしょうね。
貫之の場合は馬ですみましたが、実方の場合は、下馬しなかったので命を落とすという物語となっています(当ブログ32参照)。貫之の歌は『貫之集』にありますから、実際にあった可能性が高いですが、実方の話は伝説の可能性が高いです。
さて、鳥居の前につきました。
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76 35貫之2ー一夕話の挿画解説(『枕草子』の棄老説話と蟻通明神)
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コメント
自然相手でどうしようもない事情でも、ツアー代金は泣き寝入りになってしまうのですね。キャンセル保険ですか!そこまで用意周到にする時代なのですね。
でも、その翌日の新幹線から空路に切り替えられた素早さは流石でいらっしゃいました❤その後の現地踏査もお見事です。人に聞くのが一番というのは、同感です。グーグルマップはどうも苦手です笑
以前奈良吉野の丹生川上神社中社にも蟻通神社がありましたが、ネットで検索しますと、こちらは平安時代末に泉佐野市の方から勧請されたようです。敬老棄老、外国からの難題を老人の知恵で解決するなど、いかにも好んで伝承されそうです。貫之の馬も、道真の牛と共に忘れられない話です。
16日、17日は、確かに甲子園の応援団の方々も乗っていて、いろいろとご苦労されたことがわかりました。
テレビのニュースでは、駅の混雑の映像しかなかったので、新幹線の車内の様子はわからず、こちらも推定して行動するしかないというところがありました。
棄老伝説については、七月の講義でお話しましたが、一夕話を載せなければと思っております。なんとかがんばります。