76 35貫之2ー一夕話の挿画解説(『枕草子』の棄老説話と蟻通明神)

 35貫之2ー一夕話の挿画解説(『枕草子』の棄老説話と蟻通明神)



  蟻通(ありどふし)の明神は和泉(いづみ)の日根(ひね)にあり。むかしいづれの帝(みかど)のおほむ時にや。人の老(おい)いたるは。やうなきものなれば。うしなひ捨(すて)よとの詔(みことのり)ありしに。ある司人。老たる父母(ちゝはゝ)を棄(すて)ん事を悲(かな)しみ。床の下に深くかくせしが。其頃(そのころ)異国(いこく)より。此国(このくに)の才(さえ)をためさんとて。みくさのわきがたきものをおくりこせしに。人々にはかれどもわきがたし。司(つかさ)人ひそかに老父(らうふ)に問ふに。二品(ふたしな)ともわかちぬ。最後(さいご)七曲(なゝわた)の玉(たま)の上(うえ)と下(しも)とに、穴(あな)有(あ)るに糸(いと)を貫(つらぬ)くなりけり。是(これ)また同(おな)じく。老(おい)たる父に問(とひ)けるに。其玉(そのたま)のかたかたの口に密(※)をぬり。扨(さて)蟻(あり)の腰(こし)に糸(いと)をむすび。是(これ)を入(いれ)なば。おのづからつらぬかるべしと。をしへのままにして。三種(みくさ)ともに。異国(ことくに)へ遣(つか)はしぬ。帝(みかど)深(ふか)く感(かん)じましまして。老人(らうじん)を棄(すつ)るの事をとゞめ。司(つかさ)人は大臣(だいじん)になし給(たま)ひしとなん。

 蟻通の明神とは、此(この)老人(らうじん)を祭(まつ)るなりと。枕(まくら)の草子(そうし)に書(かけ)り。

  此説(このせつ)。難宝藏経(なんほうぞうきょう)の趣(おもむき)によりてかりに作(つく)りなせるものなり。経文(きょうもん)ここに略(りゃく)す。

(凡例)

  ⑴ルビは()内に入れ、すべてひらがなとした。

  ⑵句読点、仮名遣い、送り仮名は原文のまま。くり返し符号は適宜読み易いように処     理してある。

   ⑶改行は本文通りではなく、読み易いように改めた。

 ⑷漢字は可能な限り新字体に改めた。誤字と思われるものも原文のままとして、 ※をつけ、【注】のところに正しいと思われる字を注記した。

【大意】

  蟻通の明神は和泉国の日根野にある。昔、どの帝の御代であったか、人が歳をとったのは用のないものなので、追い払って捨てよという詔が下ったが、ある官人は、老いた父母を棄てる事を悲しんで、床の下に深く隠していたところ、異国が此国の知恵を試そうとして。三種の分類しにくいものを送ってきたが、人々に相談してみたが、分けることができない。その官人は秘かに老父に聞いてみると、二種類とも分けてしまった。最後の問いは、玉の中に七曲がりの迷路をつくり、その上と下に穴があり、そこに糸を貫けというものであった。是もまた同じく、老父にきいてみると、其玉の片方の口に蜜を塗り、蟻の腰に糸を結んで、(反対側の口から)蟻を入れたらば。自然と貫くことができるだろう、と。教えのままにして、三種ともに、異国に遣わしたので(事なきを得た)、帝は深く感じ入って、老人を棄てる事をやめ、官人は大臣になさったということだ。

 蟻通の明神とは、この老人を祭るのであると、『枕草子』に書いてある。

 此説は、『難宝藏経』の趣によって仮に作ったものである。経文は略す。

【注・語釈】

 蟻通の明神   大阪府長滝村(現泉佐野市)にある神社とその神。昔、老人を野山に捨てさせたが、中将某は老いた両親を捨てきれず隠して孝を尽くす。あるときに唐帝が日本を攻めんとして、種々の難題を課し、そのなかに「七曲の穴のある玉に紐を通せ」という課題があった。中将は両親の知恵によって、蟻に細糸を結び、玉の出口に蜜を塗って、通すことができたので、攻められずにすんだ。棄老習俗は廃され、中将は大臣となり死んで神となる。

 司人   官職についている人。役人。官吏。

  「蜜」が正しいと思われる。

 枕草子  平安中期の随筆。清少納言著。一〇〇〇年(長保二)頃成立。作者が仕えた中宮定子の後宮生活での体験や見聞、自然・人事に対する感想などを、長短三百余段に記したもの。

 難宝藏経  この名の経典はない。正しくは『雑宝藏経』。『雑宝藏経』は、五世紀(472)に、中国、北魏の吉迦夜・曇曜によって翻訳された経典、原典は失われたが、二世紀頃に集録された、インド北方の仏教徒のかかわる経典とされ、ラーマーヤナ物語、ミリンダ王物語、カニシカ王物語など著名な物語を含む譬喩因縁譚が載せられている(『国訳一切経』改題)。

  【解説など】

  一夕話では、異国から三つの難題が出されますが、「蟻通明神」に関わる三つ目のお話しか詳しく述べられていません。『枕草子』では二二七段(新編日本古典文学全集)、「社は」という、いわゆる「類聚章段」と呼ばれる章段に、このお話があります。「類聚章段」には「山は」「海は」「鳥は」といった「は」ではじまるものと、「にくきもの」「うつくしきもの」と「もの」ではじまるものがあるので、「ものはづくしの章段」とも呼ばれますが、挙げられている属性のものを列挙し、それをとりあげた理由やそれにまつわるお話を述べてゆくというのが原則です。特に「は」型類聚章段は、好ましいものを列挙してゆくので、現代でいうランキングのようなものですね。

 二二七段の「社」は、「布留の社、生田の社、旅の御社、花ふちの社、杉の御社」が挙げられたあと、最後に「蟻通の明神」があげられ、貫之の馬がわずらって、歌を詠んだことを挙げ、さらにその名前の由来(確かに変わった名前です)を詳しく述べるという体裁になっています。長いものなので、難題部分の概要を記します。唐土の帝(一夕話では「異国」)とはっきり書かれていて、この国(最後に「日本」とあります)の帝を騙して奪おうということで、常に知恵を試し、議論を吹きかけていたというのです。三つの難題とは、二尺ほどある木の本末を決めること、二尺ほどの蛇の同じ長さの雌雄を判別すること、最後が一夕話にある、七曲がりの迷路が中に掘られて左右に口があいたのの小さなものをよこして、これに糸を通して頂戴しよう、というもの、誰も答えることができませんでしたが、解決法を知っていたのは、棄てよという帝の命令に反して、こっそり親をかくまっていた中将(一夕話では「官人」)の老父でした。老父は、見事三つの難題を解決し、帝はそれを知って、年老いた父母を都に住ませることを許したというのです。最後は、中将の老父が神になり、

  七曲にまがれる玉の緒をぬきて、ありとほしとは知らずはあるらむ

という歌を詠んだと結ばれています。  

 まあ、つっこみどころは満載で、こんな立派なお父さんが、なぜ貫之の馬に祟ったのか、とか、蟻に糸をつけられるのか、大変そう、とか、蟻は小さな玉に入るのか、などなど沢山ありますが、私が最も気になるのは、この棄老説話+難題解決型説話のモチーフは日本に古来からあるものなのだろうか、ということなのです。

  難題解決型のお話といえば、難題婚型がよく知られています。かぐや姫のお話『竹取物語』、オペラでは『トゥーランドット』、どちらも求婚者に非常に難しい課題を出して、それをクリアすれば結婚するわという冷酷なお姫さまの物語で、難題を解決しようとする若者の努力の数々は、彼らが本当の意味で成人になるためのイニシエーション、通過儀礼と関わる教訓性と関わりがあるように思われますが、老人が難題を解決するというお話は、老人の知恵は役に立つのだよ、だから大切にしなさいと若い人に言い聞かせるための、老人サイドの物語であるいえるかもしれません。  

 『枕草子』のこのお話は、『難宝藏経』(正しくは『雑宝藏経』)に出典があるのだと『一夕話』が述べています。林羅山などの江戸時代の学者が、『枕草子』の蟻通の話はどうも出典があるらしいと気づいて、いくつか挙げているのですが、『枕草子』より後の時代にできたものばかりなので根拠とはなりにくいのです。ですから、『一夕話』が『雑宝藏経』を挙げるのはなかなかのものです。福田俊昭氏は「『枕草子』の蟻通明神説話の典拠について」(『国語国文』55ー5)という論文で、いくつかの仏典を典拠としてあげますが、「蟻通」のお話自体は中国の殷芸の『小説』がもとになっているという指摘をしています。

  その後、異論は出ていないようなので、『枕草子』の二二七段のお話は、現在のところ仏典を外枠として、中国のお話をミックスしてできたという福田氏の論が定説ということになります。

 つまり、老人を捨てる風習のある国で、老人の知恵によって外部からもちかけられた難題が解決されるというこのお話の外枠は、本来は仏典に見られるパターンなのだということができるでしょう。しかもその型は、『一夕話』があげた『雑宝藏経』だけでなく、『法苑珠林』、『賢愚経』(聖武天皇筆とされる古写経が伝存。端正で堂々たる筆致から「大聖武」などといわれ、展覧会で展示される「古筆手鑑」などの最初にあることで知られている。つまり、奈良時代から知られていた経典)、敦煌本『雑抄』にあることが指摘されています。これらは、経典の中でも譬喩因縁譚といわれる、仏法を広めるために面白いお話を載せた、いわゆるネタ本と申しますか、僧侶が講話などで聴衆を楽しませるために語られるエピソード満載の経典なのです。そこには、蟻通のお話はないのですが、棄てられるはずの老人の知恵によって、外からもちかけられた難題が解決するとい類似したお話、『枕草子』二二七段のはじめにある二つの難題とよく似た、「木の本末」や「二つの蛇の雌雄」を見分ける方法を老人が教えるというお話がみられるのです。 

 しかも『雑宝藏経』をみると、そのお話のタイトルは「棄老国縁」とあります。つまり、北インドにも棄老説話はあったということなのですね。

   日本に残る棄老伝説と関わりがあるとされるのは、『古今集』雑上(八七八)の、

     わが心なぐめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て

という歌であり、それをもとにしたと思われるお話が、『大和物語』にありますし、『更級日記』にもこの歌を踏まえた歌が載せられています(『更級日記』という題もこの歌に基づいているとされています)。謡曲『姨捨』は貫之のお話と『枕草子』二二七段のミックス、深沢七郎は、このお話をもとに『楢山節考』を書き、映画にもなりました。

    関敬吾氏は『日本昔話集成』のなかで、「姨捨(棄老)」のお話には、「外来型」と「日本古来型」があるとしています。

 『古今集』の歌とそれに連なる「姨捨」は日本古来型といえるでしょうし、『枕草子』二二 七段に採録された「蟻通」は「外来型」ということができるのでしょう。

  ただ、『枕草子』二二七段は仏典にあるお話がメインなのに、どうして中国のお話とミックスしてしまったのかということはわかっていません。私見ですが、平安時代というのは、法会が盛んであり、法話もたくさん行われた時代でありました。清少納言も楽しみにしていたことが『枕草子』に描かれています(三三段に登場する、朝座の講師、清範は、「高座の上も光満ちたる心地して」とあり、イケメンでお話が面白く、とても人気があったようです。『大鏡』には、清範が犬の法事を頼まれて、「過去聖霊(死んだ犬の霊)は蓮台の上で ひよ と吠えたまふらむ(極楽の蓮の上でワンと吠えていらっしゃるだろう)」といった、とあります。頭の固いお坊さんなら、畜生の法事などできないと言って断りそうですが、清範は当意即妙で機転がきく、今時のペットブームやペットのお墓なんかにも、きちんと対応できそうなありがたいお坊さんです)。『大和物語』「姨捨」の姨も、山の法会を楽しみにしていたので、山へ行こうという甥の誘いを喜んだのです。you tubeどころか、テレビも、もちろんラジオもない時代ですから、お話の上手な僧侶が語ってくれる法話は、仏法の教えだけではなく、仏典などに載っている楽しい異国の物語を入れて、聴衆の興味を引くものであったと考えられます。見たこともない異国の物語は、当時の人々の心を大きく開かせる窓のような働きをしたのかもしれません。仏典を読むことは、深淵かつ難解な仏教教理を知り、理解するためだけでなく、そこに描かれているたくさんの物語(譬喩譚)を楽しみつつ、頭の中に入れて、貴族や民への法話の素材にするという実利的な効用もあったのです。僧侶たちは、法話の席で、一つの出典とは限らず、自由自在に面白そうな物語に仕立てて話したのではなかったでしょうか。ですから『枕草子』の蟻通明神の物語は、仏典の逸話と漢詩文の逸話が混ざってしまっているのです。聴衆は、誰も出典などは気にしません、面白ければ正義です。ただ、たくさんの昔話が消えていったように、口頭で語られたものは消えてしまいます。平安時代の文献で残されているものは少なく、証拠として出すことはとても難しいのです。『古今集』の時代の歌もそうしたところがあったのではないか、というのが私の最近の研究テーマですが、文献が少ないので苦戦しています。

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