7 三島大社と暦師の館

 三島大社と暦師の館

 17日の日曜日、長い間風邪が抜けなかった夫が、鰻が食べたいというので三島までゆくことにしました。

 東海道新幹線、こだまの自由席は半分くらいの乗車率。みどりの窓口も行列していて、緊急事態宣言が解除されたので、少し人が動き出しているのがわかります。

 11時30分頃三島到着。広小路の観光客で並んでいそうなお店はやめて、少し早いけれど、ネットで検索して、駅近くの鰻屋さんでランチ。駅から徒歩2分の「むさし」というお店です。椅子はカウンターのみで、あとはすべて座敷という昔風のお店。女性の一人客が鰻をさかなに杯を傾けていました。

 ご飯なしの鰻(梅)だけと桜エビの天ぷら定食と地魚のお刺身を注文。桜エビの天ぷらは、ふつうのランチレベルの値段で、天ぷらが二つありましたが、桜エビは少なめ。鰻はたいへんおいしかったです(写真をとるのを忘れました、すみません)。

 傘を忘れたので、小雨に濡れながら三島大社まで歩きます。七五三の女の子がたくさん。小さな女の子は、孫と同じくらい、着物を着て小さな傘をさしていると、目を細めてつくづくと眺めてしまいます。





 ちょうど「鶴瓶の家族に乾杯」の取材中で、黄色いパンツをはいた鶴瓶さんが、三人の女子高校生に取材中。スマホを向けると、スタッフに「カメラ、動画お断り」という紙を見せられました。いつ放映されるのでしょうね。

 お参りをすませて、右手の神鹿苑の脇を抜けた道を左折すると「暦門のみち」という表示があります。


 歩いて2分ほどで、お目当ての三嶋暦師の館につきます。三島大社を再訪するなら是非訪ねてみたいと思っていたのでした。

  





 宮城谷昌光の『史記の風景』(新潮文庫)は、古代中国から日本史にまで視野の及ぶすぐれた随筆集ですが、その一節「閏月の置き方」(235頁)を読んで、蒙が啓かれる思いがしたことがありました。信長の時代には、暦が二つあって、一つは朝廷の出す京暦、ほかのひとつは三島大社の出す三島暦であった、関東は三島暦で、二つの暦は閏月の置かれかたに相違があると書かれていたのです。陰陽寮の暦博士が中国の暦法に基づいて、毎年新しい暦を作成し、頒布された具注暦という形式の暦の余白に、男性貴族が漢文で日記を書きこんだ(たとえば道長『御堂関白記』)ことは知っていましたが、三島暦のことは知りませんでした。『日本の暦大図鑑』(新人物往来社)の、岡田芳朗「日本の地方暦のすべて」をみると、鎌倉時代に入って、地方の武士階級の間で暦に対する需要が高まり、具注暦や仮名暦が印刷されるようになり、鎌倉幕府が関東に開かれると、幕府の尊崇の厚い伊豆三島大社で独自の暦算によって暦が作成されるようになったとあります。「三島暦」も「京暦」も貞観時代に制定された「宣明暦」をもとにして計算されるのですが、ときどき食い違いが起こるのだとか。詳しいことは、岡田氏の記事を見て頂きたいのですが、江戸時代には、京暦、三島暦だけでなく、南都暦、伊勢暦、会津暦、弘前暦、沖縄暦など、たくさんの暦が発行されていたようです。写真は、順に、現存最古の三島暦(複製)、文政八年の三島暦、京暦です。





         






 面白かったのは、いわゆる、茶道の茶碗などで「三島」といわれるものは、三島暦の体裁をもとにしているからそう呼ばれたのだという説明でした。壁に貼ってある暦の体裁と、茶碗の縦の模様の連なり、確かに似ています。
          暦のように縦線がたくさん入った三島茶碗のルーツ


こちらがいわゆる三島茶碗

 さて、いろいろな暦が並べられていたのですが、一番面白かったのが南部めくら暦。文盲の人のために作られた絵暦です。


 以下は、下から三段目の図を拡大したものです。左端、銭二百文+砥石+蚊で二百十日、左から三番目、禿げ頭で半夏生、次が芥子に゛(濁点)で夏至、次が荷奪いで入梅、右端が鉢+重箱+鉢+矢で八十八夜。
  



 こんなに楽しませていただいて入館料無料とは、あまりに申し訳ないので、令和四年(来年)の三島暦を購入しました(500円)。新暦、旧暦、月の満ち欠け、七曜、六曜などが書かれていてなかなか素敵です。毎年この三島暦を届けてくださったFさん(いつもありがとうございます)、今年は自分で買いました。

     

           


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コメント

Unknown さんの投稿…
とても面白くて格調のあるブログで引き込まれて読みました!
暦、楽しいですねー。
私じゃ解読不能かも。
伊豆長岡にお客様がいて、うなぎ屋さんに連れて行ってもらったかも。
なんか、うなぎ屋さんなのに羊羹売ってたような?
うろ覚えですが違う店かな?
M.Nakano さんの投稿…
 早速に読んで下さって有り難うございます。
 鰻屋さんは、伊豆長岡ではなくて三島でしょうか。三島だとしても、羊羹を売っている鰻屋さんあり、かもしれません。三島大社のお団子は有名ですから、羊羹も名物なのかもしれません。実は、三島大社の近くであんこ屋さんをみつけ、最中の皮と餡を買って帰ったのです。餡は激甘だったので冷凍しました(このあと食べるかどうか??)。最中の皮は、普通の餡を入れて食べることにします。ブランド品の手作り最中よりは、ずっと安かったのですけれど、ちょっと残念。
遊奈 さんのコメント…
三島まで鰻を食べに行くという発想が優雅ですね。暦師という職業が昔あった?平安時代の陰陽師の伝統が、ずっと継承されていたのでしょうか。暦の考察、興味深かったです。独自な地方文化の隆盛を感じます。ドイツには、日本の卓上暦のようなのは、ないそうです。日本人のセンスが、辛うじて現代に息づいているのかもしれません。
M.Nakano さんの投稿…
このコメントは投稿者によって削除されました。
M.Nakano さんの投稿…
 遊菜さん、コメントありがとうございました。
 陰陽師の系統を引く、奈良にいた河合氏が三島に移って作るようになったのが三島暦のようです。

 ドイツの暦はどんなものなのでしょう。普通のカレンダーとクリスマスまでカウントダウンするカレンダーくらいしか知らないのですが。

 中東は、春分から始まる暦(春分暦だったかしら?)なのだと聞いたことがあります。お正月にバリ島に行った時には、たくさんカレンダーをもらったのですが、読めなくて使えなかったです。世界の暦、面白いテーマですね。

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