32 51実方 番外編ー名取市・閖上ー
51実方 番外編ー名取市・閖上ー
昨夜(16日)11時34分頃、大きな揺れがありました。始めの揺れの後、カーブを描くようなゆっくりした横揺れ、11年前の東日本大震災の時の揺れ方に似ていました。眠りにつこうと思っていた時でしたが、思わず起き上がり、テレビをつけて、宮城県、福島県で震度6強の地震があったことを知りました。
東日本大震災から11年がたちました。連れ合いが福島出身で、その兄一家が仙台に住んでいますので、3月11日はいつも特別な感慨をもって迎えるのですが、その日から一週間もたたないうちにこのような地震が起こるとは思いませんでした。幸い津波の被害はなかったようで安堵していますが、各地の被害状況は徐々に明かになってきています。
お昼のニュースで、名取市の道路の崖崩れの写真が出ていまして、 昨年の10月31日に仙台を訪れ、名取市の実方墓と近くの閖上を訪ねたことを思い出しました。その時のことを少し書きたいと思います。
仙台駅から義兄の案内で、名取(名取市愛島塩手字北野42)の実方の墓へ。大きな看板が立っています。新幹線の高架も見えるのですが、新幹線は速度が速いので気がつかないでしょうね。
実方は、幼くして父を失い、叔父左大将済時の養子となり、済時室の母、延光北の方に養育されます。舞や和歌に優れた風流人で、円融院・花山院の宮廷サロンで活躍し、清少納言や小大君等といった何人もの女性と歌を交わし、中将として将来を嘱望されていましたが、長徳元年(九九五)、陸奥守として赴任し、同四年十二月任地で亡くなりました。先例にこだわらない奔放な性格であったこと、従四位下左中将が陸奥守に任官するのは当時異例であったこと、都に戻ることなく辺地で客死したことなどが人々の想像力を刺激し、実方についての多くの逸話が生まれました。実方と行成 が口論し、主上に実方の粗暴なふるまいをとがめられ、「歌枕 見てまいれ」と下命された(『十訓抄』『古事談』など)という伝説が最もよく知られているものでしょうか。
実方(名取市のパンフレットより)
実方の死については、笠島道祖神の前で、土地の者の諫めに従わず、馬から降りるべきところを乗ったまま通り過ぎてしまい、神罰が下って、落馬しその地で亡くなってしまったという言い伝えがあります(『源平盛衰記』)。
実方のお墓です。西行の歌碑と芭蕉の句碑もありました(写真は省略します)。
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