46 いとしい君のもとへ
いとしい君のもとへ
なんだか驚くようなタイトルですが、私ではなく、90歳の叔母のことばです。
叔母といっても父方の叔父の配偶者なのですけれど、両親が亡くなってしまってから、盆暮の挨拶を送るごとに電話をして話すことが恒例になりました。初めは型通りのお礼で終わったのですが、いつのまにか、女同士いろいろと話すようになり、それがとても楽しい時間なのでした。
叔母は昔のキャリアウーマン、津田塾大学を卒業後、英文タイピストをやっていたのですが、叔父と結婚して退職、家庭に入り、子育てをしたという、その時代ではありがちな職業婦人のコースをたどったのですが、とても頭がよく、話していると時間を忘れてしまいます。面白い映画や、テレビ番組を教えてくれるのですが、そのコメントが、視野が広く、とても鋭いのです。たとえば「刑事フォイル」、第二次世界大戦中のイギリスがどんなであったかわからなかったけれど、あれを見ればよくわかる、とても面白いと、謎解き刑事ドラマなのに、社会的な視点から見ているのです。「刑事フォイル」は、時代背景まできちんと考えられたよい作品でした。あまりに凝りすぎたため続けられなくなった、とかいう話です。
先達として人生の節目となるようなことも教えてくれました。八十代後半まで車を運転していたので、高齢者教習や、認知症テストがあることも話してくれましたし、また後期高齢者になると保険が変わるなど、叔母がたどってきた一つ一つのことをその折々に教えてくれたので、今、夫や私がそうした道を歩み始めた指針となってくれます。
先日の電話では、もう91になるのよ、そんなに生きるとは思わなかったのに、友達は皆70代でとっとと先にいってしまったというのです。同じ世代の友人たちとは、それぞれ道は違っても、どこかで同じように歩みを進めてきたと思っていたし、これからもずっと併走してくれるような幻想をもっていたのですが、そうではないのだ、いずれ自分を含め、誰かが欠けてゆくのだということが、そのことばで、ひしひしと身に迫ってくるような実感をもって立ち現れてきました。
叔母は、身の回りのことは自分でするし、娘と暮らしているので、それほど問題のない境遇なのですが、何もしないで生きていても仕方がない、早く二年前に亡くなったいとしい夫のもとにゆきたいけれど、ちっとも呼んでくれないのでこうして生きているの、というのです。
「いとしい夫」とは!
これまで叔母からは全く聞いたことのない言葉でした。
一瞬、彼女一流のジョークかと思いました。だって、毎日家にいて、いちいち三食作るのなんて面倒よねえといって、いつも私と意気投合していたじゃないですか。
今はただそよその事と思ひ出でて忘るばかりの憂きふしもなし(和泉式部)
これは『和泉式部日記』に描かれる熱愛の相手、敦道親王(帥宮)と死別し、百五十八首の絶唱を詠んだ、いわゆる帥宮挽歌と呼ばれる和泉式部の歌のなかの一首、今はただ、そう、その事と思い出して忘れることができるようないやなところなど、あの人は一つもなかったというのです。生きているうちは、喧嘩をしたり、うっとうしく思ったりお互いいろいろありますけれど、彼岸と此岸を隔ててしまえば、改めて相手のよさが見えて、寂しい思いになる、そういうものなのかもしれません。
私など、まだまだ至りつけない境地です。
桔梗の花ことばは「永遠の愛」。
恋人に死なれた乙女が相手を待ち続けるというかわいそうな物語による花ことばのようです。出典をさがしましたが、「花ことば」自体、1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)という初期のものをはじめとして、いろいろあるようで、それ以上たどることができませんでした。つまり、叔母さんにぴったりの物語は見つけられませんでしたので、とりあえず言葉だけ合うものを。
庭の桔梗はもう咲いてしまって跡形もないので、MIHOさんのサイトからお借りしました。有り難うございます。
コメント
生きている間、母親は息子に片思いだけど、
母があの世に行ってしまったあとは、息子が母に片思いなんですって?
そう聞いたことがあります。
母の良いところばかりが思い出されるのでしょうか。
いえいえ、息子に限らず、あとに残された人はみなそうかも知れません。
母と息子、片思い同士のすれ違いなのですか。息子というのは、心の奥では母親をまぶしい存在として見ているような気もするのですが、幻想かもしれませんね。
そう、残された人は、亡くなった人の美しい思い出を抱いて生きる、ということは多いような気がします。