48 19伊勢(3)(平中との贈答歌)ーほととぎすの歌と既読スルーの物語

 19伊勢(平中との贈答歌)ーほととぎすの歌と既読スルーの物語


  宇多天皇の女御温子(基経の娘)の女房として出仕した伊勢は、温子の異母弟である藤原仲平(基経の二男)との恋に破れ、宇多天皇の寵を得て皇子を生みますが、幼時に早世します。その皇子が亡くなった翌年に詠んだ歌があります。

       生み奉りたりける皇子の亡くなりての又の年、郭公を聞きて 
  死出の山越えて来つらん郭公(ほととぎす)恋しき人の上語らなん(『拾遺集』哀傷・  1307)
 
   「恋しき人」とは恋人ではなく、自分が生んで亡くなってしまった宇多天皇の皇子のことです。又の年とは翌年、おそらくは一周忌の頃に郭公の鳴き声を聞いて詠んだ歌です。  
  ほととぎすの歌については、42で述べましたが、そのなかに、あの世とこの世を行き来する鳥という型があったと思います。空を自由に飛翔する郭公は、彼岸から此岸にやってきてまた戻ってゆくのだから、あの世のことも詳しいだろう、あちらの世界での皇子の様子をどうか私に聞かせておくれ、というのです。「なん(なむ)」はあつらえ望む意、願望の終助詞です。
  自分のなかに渦巻く激しい情をそのまま詠むのではなく、それを一度客観化して見つめ直し、整った理知的な形式にくるんで、静かな歌に仕立てあげるというのが伊勢の特色のですが、この歌は、それが見事に成功しているいい歌だと思います。

 この歌は三番目の勅撰集である『拾遺集』に選ばれた秀歌ですが、伊勢の私家集である『伊勢集』にも載せられています。

         さらに物もおぼえねばかへりごともせす。又の年の五月五日郭公の鳴くを聞ゝて    
   死出の山越えて来つらん郭公恋しき人の上語らなん(『伊勢集』〈西本願寺本〉・27)

  歌の本文は同じですね。歌の前にある説明(詞書)には「又の年の五月五日郭公のなくを聞ゝて」とあって、『拾遺集』よりはっきり「五月五日」と明示されています。郭公の鳴くのを聞いて、というところは同じですが、「さらに物もおぼえねばかへりごともせず(全く物事をわきまえられないほどであったので返歌もしない)」というのはどういう意味なのでしょう。皇子が亡くなったことも書かれていませんね。この一節は、実は一つ前の歌に続いているのです。前の歌を詞書とともに載せますと、

      この帝に仕うまつりて生みたりし皇子は五といひし年亡せたまひにければ、悲し、いみじとは世の常なり、嘆く    
   ものから甲斐なければ、世にあらじと思ふも心にかなはず、夜非昼恋ふるほどに、このみつとつけたりし人のもと
   より
   思ふよりいふはおろかになりぬればたとへていはむことのはぞなき(『伊勢集』〈西本  願寺本〉26)

    この帝(宇多天皇)の寵愛をうけて(伊勢が)生んだ皇子は五つになられた年に亡くなられたので、悲しいつらいなどという世の常の言葉では言い表せない、どんなに嘆き悲しんでも甲斐のないことであったから、もうこの世に生きながらえていたくないと思ったが、それもままならぬことで、夜も昼も亡き皇子のことを恋い慕っていたところ、あの「みつ」と名をつけた男のもとから、

  言葉では、心に思う気持ちよりおろそかになりますので、このたびのことは、なんと申し上げようか、適切なことばもございません
 (という歌が届けられた)。

 というのです。これに続いてさきほどの「さらに物もおぼえねばかへりごともせず(全く物事をわきまえられないほどであったので返歌もしない)」があります。
 『伊勢集』の方が、皇子の亡くなった年齢、伊勢の悲嘆が手に取るようにわかるように描かれていたのですね。

 さて、『伊勢集』に弔問の歌を送ってきた相手は誰でしょう。「みつ」と名をつけた男、とあります。この男については、『伊勢集』(西本願寺本)19の歌の詞書に次のように書かれています。

  おなじ女、年ごろいふともなくいはずともなき男ありけり。返事もせざりければ、年経にけるを、などかみつとだに
 のたまはぬ、と侍りければ、この女、みつ となむ、 名をばつけたりける。
 
    同じ女(伊勢)について、久しい以前から、求愛するというわけでもなく、またしないというわけでもない男があった。女が返事もしないでいたところ、「長い間こうして手紙を差し上げていますのにどうして『見た』とだけでもおっしゃってくださらないのですか」といってきたので、女はこの男に「みつ」という名をつけたのであった。 つまりこの男は、先にあげた26の歌の男、伊勢に弔問歌を送ってきた男ですね。

 『伊勢集』ではこの男がだれであるかわからないのですが、『平中物語』(『伊勢物語』、『大和物語』とならぶ歌物語の一つ)の第二段には、次のような一節があります。
 
         また、この男の懲りずまに、言ひみ言はずみある人ぞありける。それぞ、かれをにくしとは思ひはてぬものから、
 返り事もせざりければ、この奉る文を見給ふものならば、給はずとも、ただ見つとばかりはのたまへとぞ、言ひやり
 ける。されば、見つとぞ、言ひやりける。
 
  またこの男(平中)が、懲りもしないで、恋文をやったり、やらなかったりしている相手があった。その女は、男を憎いと思ってはいないものの、返事もしなかったので、男は「今差し上げている手紙をご覧になったなら、お返事はくださらなくても、ただ『見つ(見ました)』とだけはおっしゃってください」といってやった。それで女は「見つ(見ました)」とだけいってやった。

 というのです。『伊勢集』とは少し違っていて、男が「見つ」という名前をつけられたのではなく、女が「見つ」といってやったというのです。 

 現在よく使われているラインでは、見れば「既読」マークをつけてくれますから、「見つ」という返事は不要ですけれども、この時代ではそうもゆきません。ですから「見つ」という返事は、現在でいうとラインの「既読スルー」に当たるものといえましょうか。

 このあとに続く歌の贈答は省きますが、『伊勢集』とほぼ同じなので、『平中物語』に登場する「みつ」の女は伊勢であるとわかるのです。恋多き女伊勢のもう一つの側面が見えるやりとりですね。

 『平中物語』は、平貞文を主人公とする、『伊勢物語』、『大和物語』とならぶ歌物語の一つで、贈答歌の応酬の面白さ、恋のかけひきや男女の心の機微に特色があり、恋愛失敗譚の楽しいお話がたくさんあります。芥川龍之介の『好色』も、直接的には『今昔物語集』に取材していますが、平中が主人公の物語です。

 
                        『平中物語(平仲物語・伝冷泉為相卿筆)』 静嘉堂文庫の
         影印複製本   現存する『平中物語』はこれ一本のみ。


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コメント

いさな さんのコメント…
とても興味深く読ませていただきました。
中野 方子 さんの投稿…
いさなさん、コメントありがとうございました。

ややこしい話を読んでくださってありがとうございます。

 ずっと書こうと思っていたのですが、なかなかうまくまとまらず、結局時間がなくなって急いで書いたので、古文の方の濁点は不十分でしたし(今直しましたが)、和歌の詞書については、ブロガーではまだうまく行を変えることができずにいます(もとの文章ではきちんとやってもその通りに表示してくれないのです)。これからまた、行変えについてのHTMLを少し勉強します。

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