50 2006年 ノルウェー沿岸急行船の旅
2006年 ノルウェー沿岸急行船の旅
トロムセ(トロムソ)という地名で思い出した16年前の旅、もう記憶も定かではありませんが、まだグーグル・フォトもなく、宿や飛行機もネット予約というわけにはゆかず、宿 は英文の手紙を書いてFAX、飛行機は電話予約だったでしょうか。今ほど便利ではありませんでした。旅程は、乗り物好きな夫が組んだものなので、かなりマニアックなものとなってしまいましたが、行く先々で見るものは私が選択したのだったと思います。
8月17日(木)スカンジナビア航空でコペンハーゲン経由でノルウェー・オスロへ。プレミアム・エコノミーの席だったけれど、ビジネス・クラスにアップグレード、初めてビジネスクラスに乗りました。席はフルフラットではありませんが、前が広く、リクライニングの角度が大きい。前の椅子にテレビなどはなく、クルーが大事そうに携帯ビデオのようなものを一人ずつ渡してくれました。オスロ着。ラディソン・サス・オスロ泊。
次に「人形の家」で知られるイプセン・ミュージアム(中、高校時代はイプセンの戯曲が好きで、すべて読みました。「小さいエヨルフ」「ヘッダ・ガブラー」などなど、独特の雰囲気があってこれが北欧かと)をみて、ノルウェー民俗博物館へ。
ランチはキャットフィッシュ(ナマズ?)とパンで、二人で8000円。特に高級店でもない普通の店です。ユーロが180円くらいだから仕方ないのでしょうか。コーヒーも高いので頼まなかったけれど店員が目の前で好きなだけ飲んでいるのはちょっと気分が悪かったです。夕食は持参した「どん兵衛」とカップラーメンですませました。
8月19日(土)オスロから飛行機でボードーに行き、ボードーの港から沿岸急行船に乗ります。船に荷物を預けて少し街を散歩。15時出航、トロムソまで一泊二日の船旅。ほどなくロフォーテン諸島のすばらしい景色が広がります。シャワー付きキャビン、狭い普通の部屋なので、殆どデッキにいました。一室2名、一泊で8万円、北欧旅行専門の会社で予約したことを覚えています(その会社は今はもうなくなってしまったようです)。まだ船会社のホームページなども十分ではなく、直接ネットで船会社に予約することが簡単にできる時代ではありませんでした。
ボードーの街の旅芸人。
8月20日(日)14時トロムソ着。リカ・イスハウスというホテル(唯一のバスタブ付きの部屋)に泊まりました。部屋の窓から見た青いフィヨルドの湾の対岸に開けるオレンジや赤、黒の町並みは本当に絵のように美しかったです。 カメラがあまりよくないので、写真しか残っていなくて残念です。トロムソはオーロラが有名で、冬のオーロラの写真を検索するとたくさん出てきます。ノルウェーの沿岸急行船も冬はオーロラを見るために乗る人が多いようです。
8月21日(月) トロムソから10時のバスでナルヴィックに。林間学校らしい小学生でバスは混雑。そこからスウェーデンのストックホルム行きの夜行列車が出るのです。駅で夫の後輩に出会うというハプニングがあり、夫と同じ鉄道マニアである彼は一晩かけてストックホルムまで行くようでしたが、こちらはキルナ駅で下車。
途中アビスコという、世界で一番美しいハイキングコースがある景観を見ることができました。古いカメラなので、これもあまりうまく写っていません。
これはナルヴィック行きのバスの車窓から(?ちょっとはっきりしないのですが)。北欧らしい風景です。
キルナは、スウェーデンのラップランド地方に属する小さな町。夏は白夜、冬はオーロラを見ることができ、郊外ではサーメの人々がトナカイを放牧して暮らしているといいます。キルナは鉄鉱石が産出されてから鉱山の街として大きく発展したそうです。確か、世界一質のよい鉄鉱石で、男性の髭剃りに使われる刃も、キルナ鉱山のものが最良とされたとか。
スカンディック・ホテルのディナーはお休みだったのですが、メニューをみると、トナカイとか雷鳥とか、とても信じられないような品揃えでした。トナカイの肉は想定内ですが、雷鳥には驚きました。日本雷鳥は固有亜種で、めったに見ることができない特別天然記念物、食べるなどと考えてみたこともありませんでしたが、キルナという地名はサーメ語のギーロン(Giron、ライチョウ)に由来し、雷鳥を指すというのですから、身近なところに生息していて、食用にされるようです。「名探偵ポワロ」でも、狩の場面で「赤雷鳥」がおいしいといっているところがありましたので、ヨーロッパでは、普通のジビエ料理なのでしょうね。
8月22日(火)キルナ鉱山見学を予定していましたが、あいにく英語ツアーはなく、スウェーデン語ツアーのみなので参加できませんでした。ヨーロッパは安全にうるさくて、言語がわからないとツアーに参加することができないのです。
代わりにキルナ教会を見ました。
北極協会とはまた違って、色合いはスターヴ協会を思わせるような建物です。ラップコータというサーメの小屋をかたどった赤い木造建築です。
1時のバスで空港へゆき、飛行機でストックホルムへ。スウェーデン人のクルーは背が高く、にこりともせずに、小さなハンドバッグも上の荷物入れに入れろと命令します。四角四面であまりよい印象はありません。ノルディック・シーという空港行きのエクスプレス駅に直結するデザイナーズ・ホテル泊。
8月23日(水)船で世界遺産のドロットニングホルム宮殿へ。ヨーロッパの宮殿と同じようにたくさんの絵と室内装飾がありましたが、やはりドイツやフランスの宮殿ほどは洗練されていないような印象を受けました。世界遺産となった劇場(シアター)があったように記憶しています。欧米の他の宮殿にもあったのかもしれませんが、シアターが残されている宮殿はそう多くないように思うので、これも辺境だから残ったというべきでしょうか。
午後はノーベル賞の授賞祝賀晩餐会が行われることで有名な市庁舎へ。見学のハイライトは黄金の間、ノーベル賞受賞パーティの舞踏会用広間として使われ、1900万枚の金箔モザイクで飾られた壁画の中心にいるのは髪が蛇になっているメーレン湖の女神です。ノーベル賞受賞者と同じメニューの食事というのも予約すれば頂けるようでしたけれど、思ったよりも簡素なものでした(メニューを見ただけです)。
黄金の間の壁画。人が多くて遠くからの写真しか
とれず、少しぼけています、
8月24日(木)アーランダ・エクスプレスで空港へ。20分で5000円くらいしました。ユーロが高かったので、スウェーデン・クローネも高い。スカンジナビア航空、コペンハーゲン経由成田行きの予定で、コペンハーゲンまでは問題なく到着。コペンで少し時間があったので、羽布団の「オフェーリア」(奥さんが日本人)へ。いくつか買い物をして空港に戻ったら、なんと成田行がフライトキャンセル(つまり運航しないということ)となっていました。仕方なく予約変更の行列に並び、スカンジナビア航空でオランダのアムステルダムまで行き、アムステルダムのスキポール空港では乗り継ぎ時間が殆どなく、息せき切って走り、なんとか成田行きのJALに走り込んで、日本に戻りました(そんなことがあったので、帰りはあまり空席がなく、大混雑のエコノミークラスにダウングレード。スペイン人の団体がいて少し騒がしかったです。あとで夫がスカンジナビア航空に交渉して、プレミアム・エコノミーとの差額料金がもどってきましたが、あまりたいした金額ではなかったように思います)。
酷暑が続きますので、少し涼しいお話をと思って北欧ネタにしたのですけれど、結局フライトキャンセルでバタバタした暑苦しいお話になってしまいました。古い話ですし、写真もあまりなくて、単なる心覚えとして書きました。付き合ってくださった方、ありがとうございます。
※現在では、沿岸急行船(フッティルーテン)のチケットはHPで取ることができ、日本語の頁もあります。
という説明がありました。
そこにあった地図をお借りして載せておきます。ベルゲンからキルケネスまで片道五泊六日の旅なのですが、それをはしょって(金額的なこともあり)一泊二日の船旅でした。ボードーとトロムソに矢印を入れてあります。
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コメント
さて、トロムソと聞いて、とても懐かしくなりました。私が訪問したのは、まだ独身時代の1981年、今から40年以上前の6月、夏至の頃でした。まさに夜のない、本当の白夜です。夜中の2時、3時が日中のように明るい中、外は厚着をして、犬の散歩をしている人がいました。ホテルの遮光カーテンを引いて、強制的に夜を作らなくては、生活のペースが乱れます。トロムソで印象的だったのは、車が歩行者にとても優しく親切で、こちらが渡るそぶりを見せなくても、すぐに止まってくれて、何とも恐縮したものでした。少し高地へ散歩に行ったら、万年雪があり、薄手のコートは手放せないほど、確かに当時飛行機で行かれる最北の土地でした。私は、先生と違って空路移動してしまいましたので、飛行機が2か所ほどの空港に寄りながら、また飛び立つという南北に長いノルウェーを実感しました。預けた荷物だけ、手違いで一つ手前の空港(ボード―)で降りてしまい、次のフライトで追いかけて来た、などという懐かしい思い出もあります。当時日本から来た両親と伯父夫婦をフルアテンドしていたのですが、もう全員鬼籍に入り、お盆の月に思い出すよすがになりました。記憶を蘇らせていただき、ありがとうございました。
ヨーロッパの車は、日本と違って、本当にきちんとしていますね。渡ろうとすると、ほとんどの車が止まってくれます。道路交通法が違うかマナーがいいのか。日本も、今年、横断歩道を渡る歩行者最優先と改正されたはずですが、あまり守られているとはいえませんね。
海外旅行は、たいてい何か一つトラブルが起こりますよね。語学堪能な御輿さんなら軽々とクリアされていたことでしょう。
50回に気がついてくださってありがとうございました。
本人は特に意識していなくて、ただ、ああ50だなあと思っただけでした。
遊びにいらしてくださる方にも、スローペースでなかなか進まず申し訳ないと思っています。