13 めまいのことなどー少しお休みします

めまいのことなどー少しお休みします

  しばらく更新できすにいてすみません。先週の日曜日(14日)から少しめまいがして、朝一時間くらい布団のなかにいてから起き上がったというような状態で、一週間は不調でした。原因を考えると、土曜日から少し忙しかったためと思われます。

 16日(火曜日)は、朝からあまり調子がよくなくて、少し元気になったと思ってお昼の支度をしていたら、まためまいがしました。つらつら原因を考えると、我が家のキッチンは、水回りとガスレンジが向かい合わせで、たとえば野菜をゆでたあと180度向きをかえて、流しでボウルにあけてお湯を切るといったように、くるくると回転しなければならないのです。考えてみると、土曜日も孫たちがきて、忙しくキッチンで働いていたためか、翌朝めまいがしました。

 今までこんなことは苦にもなりませんでしたが、やはりもう年なのかもしれません。少しずつめまいは減ってきましたが、あまり根をつめたり、予定をたくさん入れすぎたりしてもだめなようです。今日も、二つの予定が午前中で終わったので、もう一つと思ったのですが、あとでこたえるかもしれないと思い、そちらはやめて(美術館行きという不要不急の用事だったので)、早めに家に戻りました。

 不調になると、年齢のこともあって、この先のことを考えてしまいます。井上靖は「小説のノートからーある空間」(『わが一期一会』・毎日新聞社)で、

 父が亡くなってから、私は初めて自分の死というものを考えた。父が生きている時は、   父親でさえまだ生きているのだからといった気持ちで自分の死など考えることはできなかった。ところが、父親に亡くなられてみると、初めて遠くの方に死の海面が見えてきた。もう父も亡くなってしまった。次は自分の番だといった、そんな思い方で、遠くの方に死というものが青い海面のかけらでも見えるように見えて来たのである。

 と書いています。そして、「父に亡くなられて初めて、自分が父親によって、死というものを考えることから守られていたことを知ったのである。死と私の間に、父親という屏風があって、私に死というものを見させないでいてくれたのである。父親は生きているというだけのことで、私をかばっていた」と続けられ、母は長生きしたので、父の死後は、母が亡くなるまでは母親の半分の屏風でかばわれていたことになる、というような趣旨のことが書かれていました。

 昭和50年10月が初版ですから、それからほどなく読んだ記憶があり、まだ私の両親が健在の時でしたが、親の死というものによって、そんなふうに死と向き合うようになるものなのかと印象に残っていました。

 今、もう両親はー母は早くに、それから長く生きた父は3年前にー亡くなりましたが、私自身は、井上靖のような感じ方はできず、それぞれを喪った悲しみは深くても、親によって死というものから守られていたとか、喪うことによって死が見え始めるというような感覚を持つことはありませんでした。目の前のことに追われて、そうしたものを見つめる時間がなかったのかもしれません。けれど、不調になると、いやでも身近にそうしたものを感じ始めるようになります。

 そんなこんなで、しばらく新しい記事を書くことができずにおりました。もう、ほとんど回復しましたが、11月中は、他に準備しなければならないものもありますので、こちらはしばらくご無沙汰しそうです。11月末頃になりましたら、また少しずつ続けてゆきたいと思っておりますので、その頃になりましたら、またおたずね下さいませね。

 勝手を申してすみませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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