12 12遍昭(2)ー『大和物語』173段の若菜の歌と杜甫の詩「贈衛八処士」

遍昭(2)ー『大和物語』173段の若菜の歌と杜甫の詩「贈衛八処士」 

『大和物語』173段は、遍昭の実話ではなく、フィクションである可能性が高いのですが、ちょっと面白い一節がありましたので、それについて少し取り上げたいと思います。

 遍昭は雨宿りをした五条の女と結ばれます。翌朝、女の母が遍昭にご馳走しようとするのですが、貧しいために何もできないので、庭にある若菜を摘んで蒸し物にして長椀に盛り、もてなしの気持ちを表わそうと、花盛りの梅の枝を折り、その花びらに美しい筆跡で、

  君がため衣のすそをぬらしつつ春の野にいでて摘める若菜ぞ

という歌を書いて箸として添えたのでした。貧しくて何もないけれど、梅の枝を箸にしてその花びらに歌を書く、そんな雅な趣向を凝らすことができるのは、その女と母が、もともとはそれだけの教養を身につけることができるだけの暮らしをしていたけれど、今は零落してしまったことを想像させます。花びらに歌を書くというのは、『枕草子』で、中宮定子が、山吹の花びらに「いはでおもふぞ」と書いて清少納言に送ったという逸話を思い出させますが、もともとは『大和物語』に先例があったのです。今回は、そちらには深入りしませんが、庭の若菜しかないけれども、精一杯のもてなしをするということで思い出すのが、杜甫の詩「贈衛八処士」です。杜甫が華州の司功参軍として勤めていた時、若い頃に別れてずっと会うことのなかった友人の家を訪れたことを詠んだ詩です。五言二十四句の長い詩なので、そこだけ引用しますと、

   夜雨翦春韭  夜雨 春韭(しゅんきゅう)を翦(き)り

 新炊間黄粱  新炊 黄粱を間(まじ)ふ

夜の雨の中、庭に出て行って、春の韮を切ってきて、黄粱を混ぜた炊きたてのご飯でもてなしてくれた、とあります。『大和物語』では庭の若菜ですが、こちらは韮です。



 韮は、本当にどこにでも生えてくるもので、うちの庭にもあります(お見苦しい写真ですみません)。青菜がない時は、時々、味噌汁の具になるのでて助かりますが、この友人の家は、魚も肉もなく、韮しかないのです。中国の人は、友人にご馳走するのが好きですから、本当は衛八さんも、久しぶりの友人をもっと豪華な食事でもてなしたかったに違いないのですが、貧しいためそれができないのです。でも、とてもおいしそうにみえるのは杜甫の表現力なのでしょう。この詩は人気があって、検索するとたくさんの例が出てきますし、解釈もつけられています。でも、ご馳走でもてなした、とするのはどうでしょうか。
 唐代を中心とする漢詩研究の第一人者である川合康三先生(大ファンなので、ほとんどの著書を購入しています。新釈漢文大系の『杜甫』は高価なのでまだですが。『中国のアルバ』、岩波新書『杜甫』は、なかでも大好きな本です)が、大修館書店の「漢字文化資料館」のなかで「偏愛的漢詩電子帖」を連載されていて、この杜甫の詩も取り上げています。全文はこちらをご覧下さい。


https://kanjibunka.com/yomimono/rensai/yomimono-8577/


 そのなかで、川合先生は「いまだに『処士』、無官のままの衛八は、貧しい暮らしのなかで、精一杯のもてなしをしてくれる。」と、きちんと題の意味を説明されます。詩のなかでたくさんの子供たちが登場するので、収入もさほどないまま、多くの子供をかかえている、そういう暮らし向きでの精一杯のご馳走が韮と黄粱を混ぜた炊きたてのご飯なのです。

 『大和物語』とは、もちろん状況が異なるのですけれど、それぞれに庭の「菜」で精一杯のもてなしをするというところが似ているなあと思ってしまいました。

 川合先生の解説は、西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」という歌を取り上げ、杜甫を衛八という人間同士の二十数年ぶりの再会と、西行とさやの中山という、人と場の再会を二重写しにしながら、現代語として訳すことが不可能な西行の歌の「命なりけり」ということばを、「いくら言葉を費やしても、『命なりけり』が心を揺さぶるゆえんを明らかにすることはできそうにない。結局『いいですなあ』に帰結してしまう。よい詩というものは、安易な説明を拒絶する。簡単に解き明かすことができるのはたいした詩ではない。曰く言いがたいけれどもとにかくよい、そういうのが真によい詩だ。」とされるのです。西行のこの歌を取り上げるたびに、しびれるようなすごいことばであるけれど、うまく現代語に訳せないなあと苦労していた「命なりけり」をこれだけ適切に表現した文章があったでしょうか。

 さて、杜甫のこの詩のメインは、韮ではなくて、二人の再会です。長い詩なので、冒頭だけあげます。

 人生不相見  人生 相見ず

 動如参与商  動[やや]もすれば参[しん]と商の如し

 今夕復何夕  今夕復た何の夕べぞ

 共此灯燭光  此の灯燭の光を共にす 

 「参(しん)」はオリオン座、「商」はサソリ座。オリオン座は冬の星座であり、さそりは夏の星座なので、同じ天空に同時に現れないため、遠く隔たっていることを表します。人の一生は、オリオンとさそりのようなもの、遠く隔たって会うことはないが、それが今宵、何たることか、この灯火のもと、君とともにいることができるようになろうとは、といった意味となりましょうか。参と商というのがとても魅力的な表現ですね。

 そのあとの詳しいことは川合先生の解説をご覧いただきたいのですが、こんな話を講義で話して、数日後、何気なくテレビをつけたら、「続 男はつらいよ」(寅さんシリーズの第二作目)をやっていて、帝釈天の裏の八幡様のそば(私は柴又出身なので、子供のころ八幡様で蝶々を追いかけていました)にある、寅さんの葛飾商業高校時代の英語の恩師である坪内散歩先生(水戸黄門で知られる東野英治郎が演じている)が、久しぶりに戻って来た寅さんとお酒を酌み交わし、「人生相見ず 動もすれば参と商の如し」と、この杜甫の詩を諳んじ始めたのです。本当にびっくりしました。「寅さん」に杜甫のこの詩が出てくるとは。

 ということで、最後は寅さんがオチになりました。


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