24菅原道真(1)ー百人一首一夕話の挿画解説 道真の挿画5・6
しばらくお休みしていた『百人一首一夕話』です。いきなり24番目の道真?しかも道真の最初なのに、挿画は、1ではなくてどうして5、6なのか、と思われるかもしれませんが、それについては次回(64回)ということに。
巻之三 二十七裏、二十八表
【翻字】
二十七裏
鷽替(うそかへ)の御祭事(ごさいじ)は毎歳(まいとし)正月七日の夜(よ)
酉(とり)の刻頃(こくころ)、参詣(さんけい)の老若男女(ろうにゃくなんに ょ)、木にて作りたる
鷽(うそ)の鳥(とり)を調(ととの)へ 、互(たが)ひに袖(そで)にかくし、 鷽(うそ)かへんと
訇(ののし)り合(あひ)て、双方(さうほう)より取替(とりかゆ)る事(こと)なり。其中(そのなか)に
社司(しゃし)より金色(こがねいろ)の鷽出(いづ)るを是(これ)に当(あた)りたるは
幸福(さいはひ)ありとて、かく集(つど)ひあらそふことぞ。其夜(そのよ)
薬師堂(やくしどう)にて追儺(おにやらい)の式(しき)も有(あり)ていとにぎわし。
和漢三才図会曰鸒正字未詳狀大於鶯頭真
黒両頰至頸深紅觜短而黒背胸腹及翮灰青
帯微赤羽尾黒其声圓滑而短鳴時隨声両
脚互挙如弾琴揺手故俚俗称宇曽弾琴
或以形麗声艷曰宇曽姫雄呼晴雌呼雨
大和本草ニ雄ヲテリウソ ト云、紅シ。雌ヲアマウソ
ト云、アカヽラズ。其声如嘯(ウソブク)ユヘニ名ツク云々。
(漢文部分のみ書き下し文にします。カタカナは本文にある文字、ひらがなは本文にないが読みのために補ったものです。)
和漢三才図会ニ曰ク、鸒は正字詳らかならズ。狀チ鶯ヨリ大ナリ。頭(カシラ)真黒ニシテ両ノ頬より頸ニ至リテ深紅、觜は短クシテ黒く、背・胸・腹及び翮(はがい)は灰青にして微赤を帯ぶ。羽・尾は黒し。其の声圓滑ニシテ短ク、鳴く時は声ニ随ひテ両脚を互ひニ挙げテ琴を弾きて手を揺らスガ如し。故ニ俚俗、「宇曽、琴ヲ弾ク」ト称ス。或いは、形麗しク、声艷ナルヲ以て、「宇曽姫」と曰ふ。雄ハ晴を呼び、雌ハ雨を呼ぶ。
大和本草ニ雄ヲテリウソ ト云ふ、紅シ。雌ヲアマウソ
ト云ふ、アカカラズ。其声嘯(ウソブク)が如し。ユヘニ名ツクと云々。
二十八表
うそかへのまもりの図
(木偏+賢という字。大漢和にもない)のごとき木を以て造る。
丹 丹 墨
墨
丹墨を交へて彩る 削りかけて尾のごとく形をなす
丹 丹 スミ
スミ
タン
このうそかへは万治年中の物にして、
或家に秘して持たるを、画史の写す
ものなり。古雅真に見るべし
【大意】
二十七裏
鷽替の御祭事というものがあって、江戸時代、正月七日の夜、18時頃、老若男女が太宰府天満宮に参詣する時、自分で木で造った鷽を持参して袖に隠し、大声で「鷽を替えよう」といいながら歩いて、お互いの鷽を取り替える。神官は金色の鷽を準備して、これに当たると幸福が来るといって競い合いった。その夜、薬師堂で追儺(大晦日に疫鬼や疫神を払う儀式)があった。
『和漢三才図会』がいうには、「鸒」の正字はつまびらかではない(「鸒」という字は、いわゆるわが国で鳥の「ウソ」を表わす「鷽」とは別字になっています。「鸒」は本当はハシブトガラスをいうので間違っているようですが、ややこしいので、あまり深入りしないでおきます。)かたちは鶯より大きく、頭は真っ黒、両頰から頸にかけて深紅、觜は短くて黒い。背・胸・腹及び翮〔はがひ〕は、灰青色で微かに赤を帯びている。羽と尾は黒い。其の声はまろやかで短く、鳴く時は、声に随って両脚を互いに挙げて、琴を彈いて手を揺らすようであるので、俗に「宇曾が琴を弾いている」という。或いは、形が麗しく、声が艷を帯びているので、「宇曽姫〔うそひめ〕」という。雄は晴れを呼び、雌は雨を呼ぶ。
『大和本草』には、雄を「テリウソ」といい、紅い。雌を「アマウソ」といって赤くない。その声が嘯くようなので、「うそ」と名付けた、云々。
二十八表
鷽替えの神事に使われる木で造られた鷽を正面、側面、背面からみた図。丹(赤)、墨、といった色の説明がある。万治年間にある家に秘蔵されていたものを写した、とのこと。
(凡例)
⑴ルビは()内に入れ、すべてひらがなとした。
⑵句読点、仮名遣い、送り仮名は原文のまま。くり返し符号は適宜読み易いように処理してある。
⑶行は本文通りではなく、読み易いように改めた。
⑷漢字は可能な限り新字体に改めた。誤字と思われるものがある場合、原文のままとして、 ※をつけ、【注】のところに正しいと思われる字を注記した。
【語釈・注】
『和漢三才図会』わかんさんさいずえ
江戸時代の図解入り百科事典。正徳2年(1712)序、寺島良安(てらじまりょうあん)編で大坂杏林堂より刊行。105巻81冊。全体を天文、人倫から草木まで96類に分かって、和漢の事物を収容し、平易な漢文で各事物に簡明な説明と図を入れている。各事項は、広く国内を旅行して実地踏査し、種類、製法、用途、薬効などを明記して客観的、合理的な解説を施し、図解は分析的である。ただ、神社仏閣の場合には歴史よりも縁起をとり、公卿や有職は伝承のままを記さざるをえなかったと凡例に記している。その明解、正確さによって発行から約200年間、明治時代に至るまで広く実用された。編者の良安は大坂の医師で、法橋和気仲安(わけちゅうあん)の高弟。「天地人を知って医術は生かせる」という師の教えに従って記録したものを、明(みん)の王圻(おうき)の『三才図会』106巻の体裁によったという。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』による解説
『大和本草』 やまとほんぞう
江戸中期,貝原益軒の本草書
1709年刊。本文16巻,付録2巻,諸品図2巻。日本・海外の産物および諸書からとった動・植・鉱物の1362種につき,水類・火類・金玉土石類・穀類・魚類など独自の分類法で名称・起源・形状・生産・異同・効用などを論じた。日本の博物学的本草学は本書により確立したといえよう。 『旺文社日本史事典 三訂版』による解説
【解説など】
鷽替の祭事のあと、薬師堂で追儺があった。というのですから、この神事も新年の行事と関係が深かったと思われます。鷽は、嘯(うそぶ)くようにヒューヒューと鳴くので「うそ」と名付けられたというのですが、どうして道真と鷽が結びつくのかは、いくつかの伝承があるようですが、実際のところよくわからないようです。
鷽をきちんとみたことはないのですが、調べてみると八ヶ岳にゆくとたくさん見ることができるようです。いつか自分で写真を撮りたいですが、現在のところはとりあえず切手の鷽を。
これは赤色があるので雄ですね。雌は色が違いうので、雌雄の鷽の写真のリンクを載せます。
古都太宰府保存協会にも雌雄の鷽の写真がありました。
雄は晴れを呼び、雌は雨を呼ぶとは、晴れ男、雨女みたいで面白いですね。鷽の鳴き声に特色があるというのでyou tubeにある鷽とその鳴き声を録画したもののリンクを載せておきます。
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