90 モンゴル短期滞在記 (3)

  モンゴル短期滞在記(3)

 午前中は、ゲルに戻ってランチ。そしてたくさん歩いたのでお昼寝。

 午後は馬に乗るというのもあったのですが、膝に自信がないので辞退して、トレッキングのみとしました。日中は暑いので、夕方、ガイドのTさんが、山登りはやめて、川辺がいいでしょうといって連れて行ってくれました。

 テレルジホテルという素敵なホテルの脇の狭い路地ー所々にゴミが捨ててある細い道を抜けると、それは美しい光景が広がっていました。世界一透明度が高いといわれるシベリアのバイカル湖の風景もかくやと思われるような川の景色です。チンギスハーン騎馬像から北へ2kmほどのところに流れているトール川の中州です。




 結婚式というか、記念撮影が行われていました。近くには、綺麗な民族衣装を着た三人の女の子たち。親戚の子かなと思っていると、結婚式はお金がかかるので、なかなかできない。こどもができてから、ようやくこうしてドレスを着て写真を撮るのだ、とか。モンゴルの平均月収は日本円で11万くらい、物価は日本とさほど変わらないのに、ウランバートルのワンルームマンションは950万ほど、一つの仕事だけでは、住むところも買えないし、食べて行けないので、ガイドのTさんも夏はガイド、冬はIT関係の仕事をするのだとか。

  結婚式の写真撮影。悪いので遠くから。左にいる白いTシャツの人がカメラマン。

  

女の子は三人います。


    澄み切った川に目を落とすと、白いものが落ちています。。。ガイドさん曰く、あれは、馬の骨、と。どこかで自然死した馬の骨が流されてきたのでしょうか。


 もう一つ白いものー綿のようなものもたくさん落ちています。






  見上げると柳の木が多いので、柳絮(りゅうじょ)でしょう。柳絮とは、 花が咲いた後の白い綿毛のある種子、またそれが散るさまをいいます。雨が降ったあとなので、ふわふわと飛ばず地面に落ちているのです。日本に多いしだれ柳には、柳絮はできないようで、他の柳の柳絮もないわけではないようですが、それほど目立たないようです。ところが、5月に中国、北京に行ったときに、ふわふわと白いものがたくさん飛んでいて、あ、これは柳絮だと思って感激した記憶があります。中国の人にとっては、鼻にはいってくる邪魔なものという認識もあるようで、私がきゃあきゃあ柳絮だ、と感動していたら、その時のガイドさんは、きょとんとして、何がいいのだという顔をしていました。

 柳絮は、春の漢詩によく歌われています。たとえば北宋の詩人蘇東坡の作にこんなものがあります。 

孔密州五絶和東欄の梨花   孔密州の五絶「東欄の梨花」に和す

  梨花淡白柳深青      梨花は淡白 柳は深青

  柳絮飛時花滿城      柳絮飛ぶ時花城に満つ

  惆悵東欄一株雪      惆悵す 東欄一株の雪

  人生看得幾清明      人生看得るは幾清明

 四十二歳の時、密州知事の任期が満ち、徐州知事に転任した蘇東坡が、後任の密州知事である孔宗翰から送られた五言絶句「東欄の梨花」に和して作ったという題です。「東欄の梨花」とは、州知事官舎の東側の手すりの近くに咲く梨の花ということでしょうか。

 梨の花はほのかに白く、柳は深い緑色、柳絮が飛び交うころ、花は町に満ちあふれる。庭の東の欄干に咲く一株の雪(梨の花)を思うと心が揺らぐ、はかない人の一生に、幾度この美しい清明の季節を見ることができるのか。

  初句、 梨の花の白さと、柳の緑、鮮やかな句中対で季節(時間)を歌い、二句目はふわふわと飛び交う柳絮の白と城内一杯に咲き誇る様々な花の色を対とした広い空間を現出させ、三句目は一転して官舎にある「一株の雪」、雪に喩えられる梨の花に視点が定まります、あちこち飛び交う白い柳絮が一点に凝縮されたかのように。焦点が絞られることによって、春がやってきたといって皆が浮かれる明るい清明節(冬至から105日目、春分から15日目のころ、現在の4月5日か6日頃、春もたけなわの時期)のなかで、一人もの思いにふける自らの内面をのぞき込むような結句が導かれます。梨の花は孔宗翰と蘇東坡が住んでいた官舎にあり、孔宗翰は現在それを見ることができますが、蘇東坡にとっては、今は見ることのできない思い出の花でしかない、そんなふうに人生は移ろってゆくと気がつくのです。そして、こんな美しい季節をあと幾度みることができるのだろう、と華やかな季節であるからこそ萌してくる人生の愁い、柳絮ではなく、梨花が主役なのですが、見事な詩です。

  柳は、中国では春の景物であると同時に別れの景物でもあります。遠別離を歌う楽府詩「折楊柳」がありますが、柳は下向きにしだれているもの、楊は上向きの柳(日本ではネコヤナギなど)といいますが、実際はあまり区別がないようです。「柳」に別れの意味をもたせるのは、柳(リュウ、やなぎ)ー留(リュウ、留める)という音通、柳を輪にして送る、環(カン、わ)ー還(カン、かえる)という音通によるもの、いわば日本の和歌でいう掛詞のように、中国でも漢字に意味を持たせて、別れ行く人を留めたい、帰ってきて、という意味を込めて柳を送るのです。中学校や高校で教えられた王維の別れの名詩、

   送元二使安西

渭城朝雨浥軽塵     渭城の朝雨軽塵を浥す

客舎青青柳色新     客舎青青柳色新たなり

勧君更尽一杯酒     君に勧む更に尽くせ一杯の酒

西出陽関無故人     西のかた陽関をづれば故人無からん

に登場する柳は、春の季節であることく登場しているだけではなく、さりげなく友との別れがたい心情を表していると思っていたのですが、この時代(盛唐)には、まだ柳を送る風習は定着していなかったという論文があります(佐藤大志「唐代の折楊柳―「折楊寄遠」から「折楊贈別」へ」『国語教育研究』56  2015)。ちょっと残念。

 結婚式のお話が、馬の骨や、別れのお話になってしまいました。記念写真のお二人には申し訳ないことです。

    帰り道に見つけ、ガイドのTさんがおいしいといってつまんで食べた黒すぐり。私もまねして口に入れてみましたが、甘いけれど、アクが強くて渋かったです。彼はもう一つ食べていました。味覚が違うようです。

 


 翌日はウランバートルに戻りましたが、ウランバートルの街を一望できるというザイサン・トルゴイ(平和の丘)は工事中で行くことができませんでした。1でも少し書きましたが、何故工事中かというと、プーチンさんが来るからだそうです(9月3日に公式訪問予定。旧日本軍とモンゴルを支援した旧ソビエト軍が武力衝突したノモンハン事件から85年となるのに合わせた式典に出席するためだそうです)。その丘は、頂上の広場を囲む幅3m、周囲60mの輪の内側はモザイク壁画になっていて、テーマはモンゴルとロシア両人民の友好、相互援助だそうですが、ロシアとモンゴルが協力して日本の旗を折っている図が描かれているのだとか。

 最終日のお買い物はノミンデパート。 おみやげに、塩ミルクティというのを勧められたので、それも一つ買いましたが、 ホテルにあった紅茶がおいしかったので、同じものはないかと聞くと、それはロシアの紅茶だというのです。ロシア製品がモンゴルで手に入るとは思いませんでした。モンゴルにはロシア製品も多いのです。ロシア紅茶はおいしいですからね。

 左から、蜂蜜と黒すぐりのジャム。四角い箱四つはロシア紅茶。キャラメルとかドラゴンフルーツの乾燥したものと紅茶を混ぜたティーバッグ。いろいろなあって、なかなかおいしいです。こんな素敵なものがあるロシア、早く戦争をやめて下さい。チョコレートが有名らしいのですが、日本に持って帰ったら一瞬で溶けそうなので、やめました。


  モンゴルの大地には、金や蛍石やたくさんの鉱物資源が眠っているらしいのですが、それは一部の人の利益にしかならず、加工する設備もないので、材料を他国にそのまま売るしかないので、貧しいままなのだそうです。地下鉄も20年くらい前にできるといって、まだ工事も手つかずのままなのだそうです。

    カラコルムも、ゴビ砂漠も行けない小旅行、見てきたのはほんの片鱗に過ぎませんが、それでも知らないこと、新しいことがたくさんありました。英雄チンギスハーン、それに続くオゴタイ、フビライによって栄えたモンゴルも、以後中国、ロシアという二つの大きな隣国に挟まれ、バランスを保ちながら、過度に依存することなく自国を存続させることを余儀なくされています。若い人が多いというモンゴル、歴史は古いけれど、新しい国の将来に幸あれと祈りつつ。


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