24 東洋文庫見学 その2 付 葉書の木(多羅葉)のこと

 東洋文庫見学 その2 付 葉書の木(多羅葉)のこと

 2021年12月1日の東洋文庫見学の続きです。

 
            (東洋文庫のパンフレットから)

 国宝『文選集注(もんぜんしっちゅう)』です。今回展示されている国宝はこれが唯一のものだと思います。 『文選』は中国・六朝の梁時代 (ほぼ530年頃)、昭明太子蕭統により編纂された詩文集で、周から梁にいたる約1000年間の詩文800篇が載せられています。日本に伝来し、平安時代には『白氏文集』と並んで広く読まれました。
 『枕草子』にも「ふみは、文集、文選、史記、五帝本紀、願文、博士の申文」と『文選』があげられています。

 この『文選集注』は、平安朝に書写された『文選』の注釈書です。もとは百二十巻ありましたが、現在では金澤文庫が所蔵する十九巻と、東洋文庫が所蔵する七巻が知られるのみ、全て国宝に指定されています。足利学校に伝わる室町時代の写本『論語義疏』も、中国では失われてしまいましたが、わが国に残されていたものでした。中国で亡失してしまった書物が日本に残されずっと受け継がれてきて中国の人を驚かせる、これはその貴重な例なのです。 

   さて、展示されている箇所には「司馬長卿」という文字が見えます。注の部分はよく見えませんが、「司馬長卿」とは、「司馬相如」(しばしょうじょ、紀元前179-117)のこと、前漢の文人で、韻を踏む文章「賦」を創作した人です。詩と異なり、賦は漢字が多くどうみても散文にしか見えないのですが、韻文なのだそうです。彼は武帝に見いだされ、宮廷文人として活躍するのですが、それ以前は生活に困っていました。お金持の卓王孫の娘、卓文君と駆け下りして酒屋を切り盛りしていた話は有名です。卓文君は、出戻りの未亡人ですが、「音を好む」つまり音楽好きでした。宴に現れた相如は酒宴が酣になった時、琴を演奏して彼女の心を得ようとします。つまり、音楽で女性の心をつかもうというのですね。イタリアなどで、恋人のために窓の下で演奏されるセレナーデの中国版、東西を問わず、女性は美しい曲に心奪われやすいものなのでしょう。
 彼の試みは見事成功して、二人は駆け落ちしますが、父である卓王孫が許さず、しばらくは酒屋を開いて生活を立てていたといいます。難しい漢字ばかりで、我々には簡単に解読できない「子虚賦」や「上林賦」といった賦の作者、司馬相如にもなかなか楽しい逸話があるのです。「司馬相如」「卓文君」と入れて、「すべて」ではなく「画像」で検索すると、
二人の画像がたくさん出てきます。殆ど中国のサイトで、著作権の問題もあるので、貼り付けることはしませんが、興味がある方は探してみて下さい。
 このお話は、琴をもって相手の心を得ようとする、「琴心」と呼ばれ、我が国でもよく知られていて、『和漢朗詠集』(管弦・四六八)にも登場します。 

 相如昔挑文君得(しやうじよはむかしぶんくんをいどんでえたり)  
 莫使簾中子細聴(れんちうをしてしさいにきかしむることなかれ)  

 司馬相如は昔(琴を弾いて)卓文君に挑んで妻とした、そんな例もあるので、御簾の内にいる高貴な女性に琴の音をじっくりと聴かせたりしてはいけないという意味で、作者は「惟喬親王」とあります。

 他には、コロンブスが見たと同じ版という『東方見聞録』や、『ターヘル・アナトミア』とそれを訳した『解体新書』の両方が展示されていて、人体図などを比較すると、オランダと日本の違いなどがわかって面白いですが、興味があったのは、1070年頃書写されたというネパールの『妙法法華経』です。




 パンフレットの表紙の一部にもなっていた(その1参照)なかなか綺麗なものです。昔の経典はこんなふうに横に長い短冊型になっています。貝葉経(「貝葉」は「貝多羅葉」の略)などといわれ、古代インドでは、 ヤシ科の植物の横長の葉である「貝多羅葉」を5cm×50cmぐらいに切り、表面に鉄筆で文字を書いて経典にしました。墨も紙もない時代、葉面に掻き傷をつけると黒褐色に変わり、書写の用をなしたのです。解説によると、この『妙法蓮華経』は、加工したヤシの葉(貝葉)の上に文字を書いて木版で挟み、ばらばらにならないように紐を通すための穴があけられたものだそうです。
 日本にもタラヨウ(多羅葉)というモチノキ科の常緑樹があって、葉の裏を棒などでひっかくと黒い跡がつきます。インドの多羅葉のようだということで同じ名前がつけられ、寺社に多く植えられており、京都の北野天満宮でみたことがあります。下の写真は日吉大社のもの。大きな木ですが、葉っぱは写っておりません。

   


 葉に書く「葉書(はがき)」ということで、郵便局のシンボルツリーとなり、東京中央郵便局にも植えられているとか。
 「丸の内を愛する会」というページに、その写真があります。


  https://lovesmarunouchi.hatenablog.com/entry/tarayou-kitte
 
 さて、話を戻しますが、2007年1月のミャンマー旅行で、短冊型の経典が残されているお寺があるというので訪ねてきました。パゴダが林立するバガンから約1時間車に揺られて行ったサレーのササナヤウンヂー寺院です。「地球の歩き方」によれば、1865年に建てられた僧院で、木綿の布に書かれた絵で装飾されたタンスに貝葉の経典が保存されているとあったので、行ってみたいと思ったのでした。以下がその写真です。


               布で包まれた経典


 
                布絵のタンス



 経典類は、東洋文庫の展示のような貝葉の面影はなく、木や紙に書かれているような印象を受けますが、形としては横長で、貝葉経の形を模しています。
 このお寺はミャンマーでも五本の指に入るという高僧ウー・コゥン・タラ師がいらして、お目にかかることができました。日本人が一人修行に来ているよ、とのこと、「瞑想」をしますかと言われましたが、時間がないのでできませんでした。残念。

 お茶が出たので頂きましたが、あとで大変なことになりました。暑い国なので、日本のお茶のように煮沸していなかったのかもしれません。やはり海外で生水(お茶だったのですが)は飲むな、ということなのでしょう。連れ合いは用心深いので飲まず、事無きを得ましたが、高僧がすすめてくれたお茶は飲まねば失礼にあたる、と私は思ったのでした。

 その3に続きます。

           
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コメント

木の葉 さんのコメント…
司馬相如の逸話、面白く読みました。昔も女性の心を掴むのは大変でした。
ミャンマーの寺院の見聞録、感動的です。「葉書」の由来を初めて知りました。今、僧侶の方々はご無事でしょうか?平和は、壊すに易く立て直すのに時間がかかります。再訪できるといいですね🙏


M.Nakano さんの投稿…
木の葉さん
 コメントありがとうございました。

 ミャンマーの政情不安、コロナ、今となっては、再訪どころか、旅自体も夢のまた夢のことであったような気がしています。

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